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昴の巻 第八章

  一
  
 紫苑は落ち着き払って口を開いた。
「貴方は何か勘違いをしているのではないか」
「え?」
 昴の笑顔がひび割れる。
「貴方は最初から不自由ではない。誰も貴方を縛ってなどいない」
「何を言っているの?」
 青い視線に睨みつけられても、紫苑は全く意に介さなかった。
「私は巫女になるしかなかった。私の両親を殺しておいて! 長老たちは私を利用したのよ?!」
「それは本当ですか?」
 ゆっくりと問い掛ける。
「貴方は本当に巫女になるしかなかったのだろうか? 確かに貴方のご両親を殺したのは、長老たちの罪です。しかしそれとこれとは、本当に関係があるのですか?」
「……何が言いたいの?」
「彼らに復讐するのも、貴方は癸の力を借りなければ成し遂げられなかった」
 壬がちらりと弟を眺め、その視線が伏せられているのを見て力なく肩を落とした。
「十五年もの間……、貴方は一体今まで何をしていたのだ?」
「わ、私は」
 昴に長老たちに立ち向かえる力などなかった。玄武の力を借りることができるとは言っても、そこそこの手練れである彼ら十一名をも相手にすることなど、きっとできなかった。だから――玄武の言うとおりに待っていた。時期が来る。必ず、来る。玄武がそう言ったから。――玄武が……。
「先ほど貴方は私に尋ねた」
 紫苑はあくまで穏やかに語りかける。
「私の大切なものの命が奪われたら、どうか――と」
「…………」
 肩にかかる重みを感じ、桔梗は顔を上げた。紫苑の掌が、彼女の肩を包んでいる。
「恐らく、私も貴方と同じだろう。きっとどうにかしてその怒りを、恨みを晴らそうとする。その命でもって、罪を贖わせようとするかもしれない」
「それなら」
 昴は昂然と頭をもたげる。
「貴方に私を糾弾する権利などないのよ」
「勿論、私にそんな権利などない。そもそも糾弾などしているつもりもない」
「なら、一体何が言いたいの?!」
 昴はいらだったように、再びそう叫んだ。
「まわりくどい言い方はやめて欲しいものね!」
「……貴方の復讐は、貴方自身が行なうべきものだ。貴方ひとりの責任でもって」
 はっ、と癸が顔を上げた。
「無関係なものを巻き込んだ時点で、貴方の復讐は既に大義名分を失っている」
「無関係なもの……?」
 昴はちらりと癸を見た。だが、癸は彼女と目を合わせない。
「確かに、長老たちのしたことは非道なことだ。貴方が彼らに殺意を抱いたとしても、誰も責めることはできない。しかし」
 紫苑は視線を癸へと動かした。
「彼は違う。たとえ脅されていたとしても……違うのだ」
「……わかっています」
 癸は静かに口を開く。
「わかっていますよ。紫苑さん」
 壬と同じ、濃い青が紫苑を映した。
「でも、それでも――僕は彼らを守りたかった」
「あの、親子でしょう?」
 紫苑の問いに、癸は頷く。
「母親の病を治すのには――いえ、彼女の病は治らないけれど、せめて命を永らえさせるために――高価な薬が必要なのです。でも、彼らにはとても買えない。僕は昴さんの言うことを聞く代わりにそれをもらっていました」
「…………」
 昴は黙って癸を見つめていた。
「でも」
 癸はようやく、昴に視線を向けた。
「それももう――やめにします」
「……え?」
 滑り出た間抜けな声。それが自分のものなのだと、信じられない。信じたくない。
「昴さん。兄に手を出そうとしたのは――」
 ゆるゆると首を横に振り、
「失敗でしたね」
 彼は不敵に微笑んだ。

  二

 紫苑は桔梗の顔を見下ろす。彼女は満足げに微笑んでいた――まるでこの展開を予想していたかのように。
「癸」
 壬が口を開く。
「俺に変な気兼ねはしなくていい。お前は、お前の好きなようにしたらいいんだぞ」
 ――その結果、ふたりが相対することになろうとも。壬は自分を曲げない。だからこそ、弟にもそうあって欲しかった。
「兄さん」
 癸は不敵に微笑む。久しぶりに弟の生き生きとした表情を見たような気がして、壬は安堵した。
「大丈夫だよ。僕は、僕の意思にしか従わない」
 癸の手がゆっくりとそらに向けられた。一瞬、ざっ、と彼の髪が靡き、続いて四方に墨色の液体が撒き散らされる。髪から染料を落としたのだ。
「…………」
 白銀の髪を取り戻した癸は、穏やかに語る。
「それが水龍の――誇りだから」
「勝手を言ってくれるわね」
 昴が口を開いた。
「薬のことはともかくとして、貴方は確かに長老たちを手にかけたのでしょう? その事実は変えられないわ。その罪も――ね」
「だから?」
 癸は冷たく言い返した。
「言っておくけれど、今多くの邑びとたちは貴方を疑っているんだよ。それが貴方の言葉を信じるかな?」
「…………っ!」
 昴は顔を引きつらせた。
「どうしても、この邑にいられくなるというのなら」
 つらそうに顔をゆがめ、癸は言う。
「仕方がないさ。僕は出て行く」
「……癸、」
 癸は、あの加乃という少女――そしてその母親にひとかたならぬ情をもっているはずだ。それでも、癸は言う。
「だから、僕はもう貴方の言いなりにはならない」
「…………」
 昴はぐっと歯を食いしばった。
「どうして……?」
 その瞳を揺らめかせるのは怒気か、涙か――その両方なのか。
「どうしてよ、あともう少しなのに!」
 昴は叫ぶ。
「もう少しで、父さんと母さんの仇が討てるのに!」
「そしてこの邑を出て行く……か?」
「そうよ!」
 紫苑の言葉に、昴は返す。
「なら、今すぐ出て行けばどうです?」
「え……?」
 昴は息を呑んだ。
「そこまでして仇打ちにこだわるのは、何故ですか」
「だ、だって……」
 ――それだけが、彼女の生きがいだったのだ。
 昴は頬を濡らす涙に気付き、慌ててぬぐった。泣いてはいけない。こんなところで泣くなんて、彼女の矜持が許さない。許さないのに……。
「――つらかったのよ」
 ぽつり、と昴はつぶやく。
「十五年間。つらいことばかりだった」
 異端視され、閉じ込められ、敬われているようで実は蔑まれていた。髪の色を変え、自らの姿を偽って、それでも生き抜いてきた。両親の命を無駄にしたくなかった。やがて、彼女は復讐だけを考えるようになった。そのためだけに、彼女は生きてきたのだ。
「そのためになら何だってしようと思ったわ。他人を利用することだって、何とも思わなかった」
 熱に浮かされたように、彼女は喋り続ける。
「自由になりたかった。こんな風に生を受けた運命から、解き放たれたかった……」
 異端の巫女と、そう呼ばれる運命から逃れたかった。
「全部終わったら、この邑を捨てるの。玄武の力は返したっていい。とにかく全部捨てたかった……」
「それは、できない」
 紫苑は彼女の言葉を遮った。
「確かに貴方は邑を捨てることができるかもしれない。玄武の力も捨てられるかもしれない。けれど、どうしても貴方が捨てられないものがある」
「…………」
「それは、」
 紫苑は少しだけ、微笑んだ。
「貴方自身だ」
 金髪と青い瞳は、いくら染料を使っても変わることはない。彼女の過去も同じだ。今更変えることはできないし、捨てることもできない。――しかし……。
「それでも」
 紫苑は優しく続ける。
「貴方は、貴方を縛っていたものを捨てればいい。貴方が一番捨てたかったものでしょう?」
「私が、捨てたかったもの……?」
 昴はまるで幼子のような表情で問い掛ける。
「それをもう、貴方はご存知のはずだ」
「……私が……知って……?」
 ――私が、捨てたかったもの。
「あ……ああ……」
 昴は目を閉じた。目尻から伝う涙も、もう隠さない。
「ごめんなさい、母さん……」
 ――この重すぎる憎しみを、意地で固めた強がりを、無理やりにかきたてていた怨念を、
「私は、捨てたかった……」
 昴は静かに首飾りを外し、それにそっと口付けた。――もう、これは要らない。ひっそりと葬られた母の側で、父に守られて眠ればいい……。
 床に落ちたそれが、かしゃりと音を立てた。

  三
  
 ――邑に入り込み長老たちを殺めたもののけは、都の高名な陰陽師どのによって退治された。昴の発表に邑びとたちは一応の納得を見せ、事態は沈静化した。やはり玄武の巫女への信頼は篤いらしい。
「……気に入りません」
「何が?」
 つぶやいた桔梗に答えたのは、紫苑ではなく昴だった。昴は長く伸ばしていた金髪をばっさりと切り落とし、肩と同じ高さで揃えている。ゆるく波打つ黄金が白い頬を彩っていた。
「別に」
 桔梗はぶうっと膨れて目をそらした。視界の隅で困ったような顔をしている紫苑のことは敢えて無視する。
「その、巫女どの――」
「その呼び方は止めてって言ったでしょう? 昴、でいいの」
「はあ。昴ど――」
「ごほん」
 桔梗の咳払いに、紫苑は言い直す。
「いや、やはり巫女どので」
 ここは巫女の神殿。あれから三日が経っている。
 昴は紫苑らを呼んで、こう言った――彼女は玄武の力を捨てられない。そう語る彼女の瞳には、どこか柔らかい光が見え隠れしていた。諦めのようでいて、決して自棄的な様子はない。
 彼女もこの邑をただ憎むだけではないのだろう。仮にも、彼女がその人生を掛けて守り通してきた邑なのだから。――だからこそ、複雑な思いがあるのかもしれないが……。
「貴方はこれからどうなさるのです?」
「あら、言わなかった?」
 昴はにっこりと微笑んだ。
「貴方に都に連れて行ってもらうのよ」
「は?!」
 紫苑の声を掻き消す勢いで、桔梗が叫ぶ。
「勝手なことを言わないで下さい!」
「貴方こそ」
 昴はふふんと鼻で笑う。
「私がお願いするのは紫苑さま。貴方ではないわ」
「くっ……」
 桔梗は唇を噛み締める。
「き、ききょ……」
「紫苑も紫苑ですっ! はっきり言ってやって下さい!!」
「な、何を」
「そんなの決まってるじゃないですか!」
「ふふふ」
 昴はくすくすと笑っている。桔梗がむきになっているのがおかしくてたまらないようだ。これが本当に水龍の御子だろうか。こんな風に頬を紅くして紫苑に詰め寄っているさまは、ふつうの少女と何ら変わらない。まあ、だからといって負けるつもりはないのだけど。昴がふたりの間に割って入ろうとした時――。
「たのもう!」
 能天気な声が辺りを静めた。振り向いた先に佇む人影は、彼らの視線を受けてやわらかく微笑む。
「久しぶりだねえ、紫苑」
 ――にゃあ。
 その場にいる者全員が目を丸くし、そして叫んだ。
「燐さん?!」
「朔?!」
 そして、白虎。
 
 四聖獣が、ここに集った。