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昴の巻 第七章

  一
  
「ど、どういうことだ?」
 壬が昴と紫苑の顔を見比べる。昴はじっと沈黙を守っていた。癸は紫苑を見つめている。紫苑はさりげなく桔梗に道を譲った。桔梗は静かに口を開く。
「この前散歩していて、偶然見つけてしまったんですけれど……」
 穏やかな声。だが、昴はその内に潜む剣呑なものを知っている。
「見慣れない形の、小さなお墓がありました」
 昴はぎくりとして、胸元を見下ろした。きっと、その墓は……。
「そう」
 桔梗は微笑む。細い指が、不躾に昴の胸元を指した。
「その形と、同じでした」
「私とて聞きかじりの知識でしかないのだが」
 紫苑がそのあとを引き取る。
「異国――唐よりももっと遠い西の果ての国には、赤や金の髪、青い目をしたひとびとがいるそうだ」
「それは」
 壬が口を開く。
「ひとなのか? あやかしではなく?」
「詳しくは知らん。しかし」
 紫苑は昴を見据えた。
「彼女はあやかしではない。お前たちにもわかるだろう?」
「…………」
 昴は無表情に彼を見つめ返した。青い瞳が感情を宿さないままに凍りついている。
「紫苑さまのいうことが本当だとして……、何故私が長老がたを殺めるのです?」
「先ほど私は申しました」
 紫の瞳が、意味ありげに揺れた。
「貴方のしたことは、復讐だと」
「…………」
「桔梗の見た墓は、随分と邑の外れにあったそうです。墓標にも何も刻まれていなかったとか」
「…………」
「そして、その墓と同じ形をしたそれを――貴方は身につけている。まるで」
 昴は思わずそれを胸元で握りしめた。紫苑の視線が、彼女を暴く。
「形見のように」
 ――ああ……。昴の喉から奇妙な笑い声が零れ落ちる。多分、それは全身から力が抜けたせいだった。

 
  二
  
 床に腰を落とす彼女に、紫苑は手を差し伸べようとした。だが、それは桔梗の手に阻まれる。
「…………」
 怪訝そうな顔をして振り向く紫苑から、桔梗は視線をそらす。――嫌だった。目の前で、紫苑が他の女性に触れるのが。たまらなく嫌だった。何だろう……この嫌な気持ちは一体何だろう。
「桔梗?」
 紫苑が小さく尋ねるが、桔梗はいやいやをするように首を横に振った――答えられない。紫苑は解せぬ顔をしながらも、心配げに横目で昴を見遣る。それがまた、嫌だった。
 紫苑の気持ちはわかっている。彼は優しいから、昴を叩きのめしたいわけでも、傷つけたいわけでもない。ただ癸が巻き込まれるのを、そして壬が苦しむのを見ていられなかっただけ。長老たちが次々に殺されていくのを見逃せなかっただけなのだ。そして、昴の過去がもし紫苑が立てた仮説の通りだとするならば。紫苑には彼女に同情するだけの十分な理由がある……。
 ――胸が痛い。桔梗は唇を噛みしめた。こんな自分は嫌だ。こんな自分を紫苑が知ったらどう思うだろう。蔑まれるだろうか。呆れられるだろうか。それとも、理解できないと困惑した顔で眺められるだけか。どれも、桔梗にとってはつらい想像だった。ぎゅっと固く拳を握って耐えようとしたとき――ぽん、と桔梗の頭の上に、暖かなものが乗せられた。紫苑の手。無骨で優しい彼の指先、それが顔を上げられないでいる彼女の頭を何度か撫でていく。ただそれだけで、胸につかえていたしこりがすうっと溶けていく。
「さて、昴どの」
 紫苑は口を開いた。巫女、とは呼ばない。
 昴が顔を上げる。乱れた黄金色の髪の下からのぞく青い瞳が不思議な光をたたえながら輝き、蒼白なかんばせとあわせて、それはどこか現実味のない美しさだった。
「何も私は貴方を糾弾するために来たのではない」
 紫苑はゆっくりとした口調で言う。昴はそれを変わらぬ無表情で見上げた。
「癸のことが捨て置けなかったということもある。だが、それ以上に」
 その場の全ての視線をひとりじめして、紫苑は微笑む。
「ただ、理由が知りたい。それだけなのです」
「…………」
 昴が顔を俯けた。
「ふ」
 息のもれる音。それが笑いだと最初に気付いたのは誰だっただろうか。
「こんなことなら、後先考えずに私が自ら手を下せばよかったわね」
 初めて聞く、ひどくくだけた口調。
「御門紫苑」
 紫苑を上目遣いに見る眼差しは挑戦的で、どこか蠱惑的ですらあった。
「貴方にならわかるでしょう? 異端の者を、ひとがどうやって扱うか」
「…………」
 紫苑は頷かない。昴はたたみかけるように告げる。
「ひとと、あやかしの血を宿すもの。禁忌の半妖である貴方なら――」
「あいにくだが」
 紫苑は彼女の言葉を遮るように口を開いた。
「わかりませぬな」
「…………」
 昴が眉をひそめる。
「つらくあたられた経験なら数え切れぬほどあるが、だからといって誰かを殺めようと思ったことはない」
「つらくあたられるだけなら我慢できるわ」
 昴の声はひどく冷ややかだった。
「けれどもし……、貴方の大切なものの命が奪われたら、どうかしら? 貴方が異端であるという、それだけの理由で」
「…………!」
 紫苑の肩が小さく震える。
「友人でもいい。恋人でもいい。兄弟でも、何でも……。私の場合は」
 昴は凄みのある微笑を浮かべた。
「両親でしたけれど」
 どうやら自分の予想はあたっていたようだ。紫苑はそう思うと同時に、足元から言いようのない寒気が這い登ってきた。
 ――貴方の大切な方の命が奪われたら、どうかしら?
 寄り添う気配、桔梗。遠く離れた都にあって屋敷を守っている、燐。その息子、朔。壬。不機嫌そうながらその瞳に信頼が見え隠れしている。そして彼の双子の弟、癸。もし彼らが害されたら……それも、自分が半妖であるために。
 ――きっと狂ってしまう……! 紫苑はぎりりと奥歯を噛みしめた。
 
 
  三
  
「大体は貴方の言ったとおりだわ」
 昴は傲然と頭をもたげた。
「私の父は、遠い西の国のひとだったそうよ。船が難破して、どことも知れぬ海岸からこの邑にたどりつき――その髪と目の色を奇異に思われて、すぐさま捕えられた」
 彼女の髪は燭の火に煌々と輝いている。
「母は私の一代前の巫女。玄武は母にこう言った。『あの異国の男が、お前の運命(さだめ)だ』と」
「玄武が……」
 桔梗が小さくつぶやく。昴はそれに気付かなかったようだ。
「母はこっそりと父に会いに行き――ふたりは恋に落ちた。決して結ばれてはならなかったのに」
 私の父母とは逆だ、と紫苑は思った。父は――先帝は、囚われの身であった母を愛した。
「母が私を身ごもった時、長老衆は半狂乱になって父親を探した。けれど、母は頑として口を割らなかった。しゃべればきっと、腹の子は殺される。どんな方法を使ってでも、産ませてもらえなかったでしょう」
 昴は淡々と、しかし目の奥をぎらぎらとさせて語り続ける。
「私が生まれて――その髪と目で、父親が誰なのかが分かった。長老たちは怒り狂ったけれど、母を殺すわけにはいかなかった。彼女は玄武の巫女で、邑にはその力が必要だから」
「…………」
「けれど、父は」
 昴の顔が歪む。
「すぐに殺された。無残に打ち捨てられていた(むくろ)を、母は私を負うて泣きながら葬ったそうよ」
 ちらりと桔梗を眺め、
「それが貴方の見た、墓」
 と言った。
「私を産んでから、母の巫女としての力が少しずつ消え、その代わりに私は今までの巫女の誰よりも玄武の力を引き出すことができた。そして」
 紫苑はその先を想像してぞっと体を震わせる。だが、昴は容赦なくその言葉をたたきつけた。
「私が三歳になったとき。母は殺された。巫女として、用済みだから」
「…………」
 誰かがごくりと唾を飲む。
「以来、私は巫女になった。憎くてたまらない、この邑を守るために」
 昴がばっと立ち上がる。壬が身構え、紫苑は動かない。
「長老衆は私の父と母を殺した! だから私は復讐しようと思った。でも私ひとりじゃどうしようもない。玄武の言うとおり、ずっと時期を待っていたのよ」
 青い目が燃え盛っていた。
「長かったわ。母が死んでから、もう十五年が経った……」
「癸さんを使って長老衆を殺した後」
 突然、桔梗が口を開く。
「貴方はどうするつもりだったのですか?」
「決まっているわ」
 昴はにっこりと微笑んだ。あでやかな笑みは、どこか媚を含んでいるようでもある。
「紫苑さまに、都に連れて行っていただくのよ。この邑にはもう用はないもの」
「なっ……?!」
 壬が声をあげ、桔梗は目を細める。紫苑は唖然として口をむなしく開閉させた。
「な、何故私が……?」
「あら、私もまた狙われていると思われるように仕向けたのは、そのためだったのだけど」
「そのたくらみは失敗したようですけどね」
 桔梗が冷ややかに告げる。
「失敗?」
 昴が驚いたように繰り返した。
「まさか。これからよ」
「貴方にこれ以上長老衆は殺せないし、紫苑は貴方が狙われていないことを知っています」
「ええ。でも」
 昴の視線がすうっと癸の方に移動した。
「私が癸さんに長老衆の殺害をお願いしたこと……、誰も知らないのよ?」
「…………」
 癸はぎゅっと拳を握り、俯いた。
「癸……」
 心配そうな兄の顔から目を背ける。
「癸……何故、そんな依頼を受けた?」
 紫苑は穏やかに尋ねた。
「…………」
 癸は答えない。昴はくすりと笑った。
「守りたいものがあると、大変ね。それに縛られてしまうもの」
 どこか小馬鹿にした風情で言う昴に、桔梗は即座に言葉を返す。
「それが本人の望んだことなら」
 紫苑は傍らの彼女を見下ろした。可憐なかんばせが、毅然とした表情を浮かべている。
「決して不幸ではない。むしろ本人にとっては本望なのですよ」
「……桔梗さん」
 癸が口を開いた。それを横目で見ながら、桔梗は言葉を続けた。
「大体は想像がつきます。そうでしょう? 壬さん」
「ああ。俺にも大体わかっている」
 壬は一歩進み出た。脳裏に浮かぶのは、質素な家屋に住まう慎ましやかな母娘。おそらくはあのふたりに関係しているのだろう。
「さあ、どうするの?」
 昴はそんな彼らを無視して小首を傾げてみせた。
「あともう少し、協力してくだされば良いだけのことよ。そうすれば、私は自由になれる……」
「…………」
 紫苑は壬と視線を交わす。桔梗が彼の袖を握る。――彼らには、それだけで十分だった。