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昴の巻 第一章

  一

 夜更け前。
「巫女さま」
 簾一枚を隔てた場所からの声に、昴はすっと目を覚ました。まるで誰かが訪れるのを知っていて、待っていたかのようでさえある。
「何ですか」
「葉月紹明(しょうめい)さまが、お亡くなりになりました」
「そう……」
 昴は瞑目した。ここ五日間、毎夜のようにひとが死ぬ。そしてその全員が、邑に十一名しかいない長老衆──。
「相変わらず目立った傷はないとのことですが、ひとつだけ」
 女の声が、わずかな困惑を含んだ。
「今までにない点が……」
「何?」
 昴の胸が、早鐘を打つ。
「『あと七人』。そう書かれた紙が、ご遺体の上に載せられていたそうです」
 簾の下から紙が差し入れられる。昴はそれを手に取ってじっと眺めた。美しい崩し文字。一体誰が書いたものかは分からないが、決して無教養なものの手によるものではない。――やはり、この一連の死は何者かによって仕組まれたもの……。昴はふと、顔を上げる。
「七人……?」
 長老だけを狙った犯行だとしても、数が合わない。
 この邑には神有月以外の各月の名を冠する家が十一あり、その家の当主が長老を勤めている。既に命を落としたのは、睦月家、水無月家、文月家、師走家、そして今回の葉月家の当主だ。残るは如月家、弥生家、卯月家、皐月家、長月家、霜月家の六人であるはず。それが、何故七人なのか。長老家を狙ったわけではないというのか。いや、それは考えられない。――では……。
「最後のひとりは」
 昴はぽつりとつぶやいた。
「私かもしれない……」
「…………」
 聞こえなかったのだろうか、簾の外は無言であった。
 気を取り直し、昴は声を張る。
「ともあれ、長老さまたちのお命が危険に晒されていることがはっきりしました。警備を篤くしなさい」
「はい」
「そして」
 昴はきっぱりと言う。
「疾く下手人を捕らえるのです」

  二

 いつものように朝食を運んできた梓に、しばらくは邑を出ないで欲しいと言われた。それを聞いた紫苑は、当惑した表情を浮かべる。
「別に構いませんが、一体何故……」
「それは」
 梓は軽く頭を下げた。
「びとではない皆さまには申し上げかねます――」
「人死にでもありましたか?」
 桔梗がさり気なく問い掛けた。
「何だって?」
 声を上げたのは壬。紫苑は箸を止めて桔梗を見つめる。
「…………」
 梓は黙って桔梗を見返した。彼女はその視線を受け、再び口を開く。
「だって、それ以外考えられなくて」
「余所ものの俺たちを出すわけには行かない理由……か」
「たとえば地滑りなどで道が塞がったから、という可能性もありますけれど、最近はずっと良い天気でしたしね」
 彼らがこの邑に逗留してから既に十日が経っているが、一日たりとて雨の降った日はなかった。
「後は盗みか……、殺しか」
「もし生き証人がいるのなら、私たちを留める必要はない。狭い邑ですし、ひとの出入りも少ないようですから下手人はすぐに分かるでしょう」
 桔梗は紫苑に視線を投げ、にこりと笑った。紫苑はゆるく頷き、梓に向き直る。
「どうなのです?」
「…………」
 梓は小さくため息をついたようだった。
「後程、巫女さまが御門どのにお会いになりたいそうです」
 紫苑らの問いに答えるつもりはないらしい。
「また紫苑だけか?」
 壬は不機嫌そうに言う。
「その女、あやかしが嫌いなんじゃねえか」
 ──何故桔梗は黙っているのだろう。壬は横目で彼女の様子をうかがい、はっと息を飲んだ。笑みの欠片もない、鋭い表情。透き通った色の瞳には霜が降りている。
「伺うのは一向に構いませんが」
 それを知ってか知らずか、紫苑はゆっくりとした口調で言った。
「私は邑びとではないのだし、巫女に仕えているわけでもない」
 その紫電の瞳は何を映しているのか──。
「ゆめ、お考え違いをされませぬよう」
 ゆとりさえたたえる彼の口元に、桔梗は少し緊張を緩めたようだった。
 ──ふと、壬は不安になる。この邑はどこか奇妙な気配がする。ここで本当に弟は──癸は、しあわせになれるのかと……。

  三

「気に入りません」
 桔梗はぷう、と頬を膨らませていた。部屋で紫苑とふたりきりになってからのことである。
「何がだ?」
 紫苑は桔梗にその長い黒髪をもてあそばれながら、白湯を啜っていた。桔梗はぎゅ、ぎゅ、と力を込めて彼の髪を結っていく。
「あの巫女とやらです」
「ああ……」
「何だって紫苑を呼びつけるんです」
「さあな」
「用があるならそちらから出向けば良いではないですか」
「…………」
 紫苑は苦笑する。あの黄金色の髪で邑を出歩くことは可能なのだろうか。――黄金色の、髪……?
「……うん?」
 紫苑は不意に首を傾げ、桔梗の手に髪を引っ張られて悲鳴を上げた。
「い、痛い!」
「すみません!」
 桔梗は慌てて手を離すと、引っ張られたと思しき場所にその小さな手を当てた。そっと、優しくなでさする。
「本当にごめんなさい。大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
 わずかに涙を浮かべた目で、紫苑は微笑んだ。だが、すぐに真顔に戻ってつぶやく。
「変だ」
「何がです?」
「この邑で、あやかしは髪を染めている。そうだったな?」
「ええ」
「それは色の違う髪が目立つからだろう?」
「……あ!」
 桔梗もはっとしたようだった。
「あの巫女……黒髪ではなかった」
  紫苑はつぶやく。
「そもそも彼女は何者なんだ……?」
 紫苑と同じくあやかしの血を引くのか、それとも……。
「それに、玄武はどこに隠れている?」
 手の止まった桔梗の方へ、紫苑は首をめぐらせた。ぱさり、と髪が雪崩れ落ちる。
「お前、何か感じないのか」
 彼女の魂には玄武と同じ四聖獣の一である青龍が宿っているから、何らかの気配を悟ることができても不思議はないのではないか。そう考えたのだが、
「いえ……、それが」
 桔梗は困ったように眉をひそめた。
「四聖獣といっても、別に何か特別な絆がある訳ではないのです。相手がそのつもりなら私にも気配を感じることができますが、もしそうでなければ……」
「感じることはできない――か」
「別に思考を共有しているわけでもありませんしね」
「そうか……」
 紫苑は唇を引き結んだ。
「私も、利用されるのは好きな性質ではない。だが、この邑に留まる以上はあまり事を荒立てたくもない――」
「会いに行くのですか」
「会いに行くわけではない」
 紫苑は桔梗の声に潜む棘を感じ取り、困惑した表情を浮かべる。
「話があると言うから、聞きに行くというだけのことだ」
「使い古された手段ですよ、そういうのは」
「何にだ」
「教えません」
 桔梗は再び頬を膨らませた。それがまるで小さな動物のようで、紫苑はくすりと微笑んだ。水龍の長として、全てに君臨するかのような威厳を見せるときがあるかと思えば、このように幼い子供のような仕草をすることもある。その落差に戸惑いを憶えつつも、そうやって振り回されることすら愛しく感じられてしまう――これは、重症だ。紫苑は俯いて唇をとがらせている桔梗を、ふわりと袖で包んだ。
「紫苑?」
 驚いて顔を上げる彼女の額に、そっと唇を押し当てる。
「案ずるな」
 低く、柔らかな声。桔梗はその尖った耳を彼の胸につけた。規則正しい鼓動の音。
「私は必ず帰ってくる」
「…………」
「お前の側が」
 少し、紫苑の腕が力を込めた。
「私の居場所なのだから」
 桔梗は頭に血が上るのを感じる。きっと頬は真っ赤になっているだろう。
「……はい」
 素直に頷きながらも一抹の不安が胸中を漂っている。闇の中で見た昴の気丈な青い眼差しが思い出されて、桔梗はきり、と小さく奥歯を噛み締めた。