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封印の巻 第五章

  一

 鬱蒼と茂る森の中、緩やかな上り坂が続いている。ゆっくりとした速度で歩いているにも関わらず、燐はすでに息を切らせていた。朔は身軽に数歩先を歩いているし、紫苑も特に堪えていないようだ。やはり陰陽道を究めるにも体力が必要なのか。書と向き合ってばかりの自分の生活を振り返り、燐は反省した。
 それにしても……、と燐は首を傾げた。桔梗が軽々と上っていくのはまだ理解できる。彼女はあやかしだから、潜在的な肉体能力はひとのそれを当然上回っているだろう。――しかし、昴は。先頭に立って歩む彼女を見遣る。木洩れ日が、彼女の髪をきらきらと輝かせていた。彼女はつらくないのだろうか。
 ふと視線を動かすと、のっそりとした大男と目が合った。とおる、と呼ばれていたか。昴の護衛とのことだ。男は人なつこく微笑み、会釈する。右頬と額に傷跡。良く見れば手にも……。燐はすっと男に近寄った。
「君は、あのお社に仕えているの?」
「はい、幼い頃から」
 意外にはきはきと答える。
「両親を流行り病で亡くして、先代の巫女さまに拾っていただいたのです」
「先代の巫女……」
「昴様のお母さまです」
 彼は何かを懐かしむように目を細める。
「昴さまは……、お母さまにそっくりでいらっしゃる」
 その瞳に浮かぶのは憧憬か、……それとも。
「まあ、中身はだいぶ……」
 言いかけた男の顔色が変わり、ばっと駆け出した。燐が驚いて見送ると、ちょうど昴の体がよろめき──。
「昴様!」
 昴は声もなく、男の差し出した腕に倒れ込んだ。。
「どうされました?」
 紫苑が驚いた調子で尋ねた。桔梗が進み出、昴の顔を覗き込む。
「水を」
 桔梗にうながされ、男は懐から竹筒を取り出した。振り向いた彼女は紫苑に告げる。
「おそらく、熱にあたったのでしょう」
「そうか」
「昴さまがお社の外に出るのは数年ぶりですからね」
 水を飲ませ、男がそうつぶやいた。
「無茶をなさる……」
 昴は未だ白い顔で浅い呼吸を繰り返している。
「どこか木陰で休むか」
「そうですね」
 男が昴を負って立ち上がる。彼の広い背中に担がれた昴は、ひどく小さく見えた。

  二

 小川のせせらぎが聞こえる。だが音だけでその姿は見えなかった。
 透流が昴の看病をしているのを横目に、桔梗は小さくつぶやいた。
「透流さんがいてくれて良かった……」
「そうだな」
 紫苑が頷く。桔梗は苦笑した。
「もし透流さんがいなかったら、きっと紫苑が昴さんの面倒見ていたでしょう」
「そうか?」
 燐もいるぞ──と暗に告げる。しかし桔梗は首を横に振った。
「きっと紫苑でしたよ」
「…………」
「紫苑は」
 桔梗は紫苑を見ず、ぽつりとつぶやいた。
「もし、私が他の誰か男のひとにおぶわれたり世話されていたりしたら──」
「代わるさ」
 紫苑はまるで当たり前のようにそう言う。
「それは私の役目だからな」
「…………」
 沈黙の後、桔梗はくすりと笑った。
「じゃあ、私も倒れたらいいんですね」
「駄目だ」
「え?」
 思いのほか強い口調。桔梗は面食らう。
「心配する。だから、駄目だ」
「…………」
「倒れる前に言え。何とかしてやるから」
「……もう」
 桔梗は怒ったような言葉と裏腹に、紫苑の腕に頭を預けた。
「昴さん、早く良くなるといいですね」
 紫苑は微笑んだ。
「そうだな……」
 ――それから間もなく、昴は意識を取り戻した。ぼんやりとしていた瞳が、透流をとらえる。
「……私、倒れたの?」
「ええ」
 透流は立ち上がろうとする彼女に手を貸した。
「歩けますか」
「……悔しいけど、多分無理」
「良かったら背中、お貸ししますけど」
「え……」
 透流の問いに血が上る。思わず振り返って紫苑を見たが、彼の傍らには桔梗がいて──。
「…………」
 力が抜ける。鼻がつんとした。こんなことで泣きそうになるなんて……かつての自分ではあり得なかったことだ。それなのに……。
「昴さま?」
 透流が慌てたように顔を覗く。
「大丈夫ですか? ご気分が優れませんか?」
「最悪よ」
 つぶやいた彼女の目の前に、白虎が立った。
 ──我の背に乗るか?
 黄金の瞳が問い掛ける。また、彼の背後には紅を纏う男がいた。朱雀の変じた姿、焔だ。
「手を貸そう、玄武の巫女よ」
 昴は少し考え、やがて首を横に振る。
「……いいわ。好意だけ受け取っておく」
「そうか」
 焔はこちらを見守る紫苑に向かってひとつ頷き、すっとそらに溶けた。
 ──心配してくれるなら、自分で助けてくれればいいのに。昴は目を閉じ、彼の広い背に体を預けた。

  三
  
 邑を出発してから一刻半ほどが過ぎただろうか。さすがの紫苑も少し疲労を感じ始めた頃、昴が不意に足を止めた。
「ここよ」
 ちょうど北の方角、目の前には見上げるほどの崖がそびえ立っている。岩肌に埋まるようにして、ひとの身長の数倍以上の高さがある扉が封じられていた。その表面には古いもの、新しいものなど様々な札が貼られている。陰陽師のものではない、と紫苑は思った。それにしても、この扉は一体いつから、そして何故こんな場所にあるのか。相当古いものに見えるが……。
「一月に一度、長老家の当主が一枚ずつ札を張りに来るのです」
 睦月には睦月家の当主が。如月には如月家の当主が。――そして、当主のいない神無月、否、神有月には、
「巫女が祓い清めます」
 ただし、巫女自らここに来ることはない。大社内の祭壇に向かって儀式を行なうのだという。
「ここまで厳重な『封印』を施してあるとは……」
 紫苑はつぶやき、やがてそらを見上げた。
「朱雀、答えてもらおう。この『封印』が何を封じたものなのかを」
 不意に、そらが翳る。木々が不穏にざわめいた。
 ――それは己が目で確かめるが良い。
 声は朱雀のものだけではなく、複数の声が重なり合っている。おそらくは、四聖獣の……。
「開けますか?」
 昴が振り向き、尋ねる。既に自分の足で立つ彼女は、巫女の顔をしていた。
 一同の視線が紫苑に集まる。紫苑はじっと扉を見つめていた。――この先にあるものは、一体……。
「貴方はご存知なのか」
 昴に尋ねる。彼女は小さく頷いた。
「伝承ですから、正しいかどうかはわかりませんが……」
「構わない。教えて欲しい」
「この扉は」
 昴は扉に向き直る。
「神へと通じる途なのだと――聞いています」
「じゃあ何故こんなに厳重に封じる必要があるわけ?」
 燐が声をあげる。
「これじゃあまるで神を封じてあるみたいじゃない」
「――そうだな」
 紫苑はつぶやく。
「おそらく燐の言うとおり」
「え?」
「この扉は、神々を封じたものだと思う」
 神有月には、その「封印」が緩む。だからこそ神獣の力を宿す玄武の巫女自らが祓うのだ。「封印」の力をより強固なものとするために。
「神獣は神の使いだろ? 何故それが神を封じる『封印』に力を貸すの?」
「……何か思惑があるのだ。おそらく」
 紫苑はふう、とため息をついた。
「時期が来るまで、開けるわけにはいかない理由があるとか……」
「今がその時期だと?」
 燐は混乱したように問いを重ねる。紫苑は首を横に振った。
「まだだ。ただ、今は我らが知る時期にある――と。そういうことだろう」
 紫苑が一歩進み出て、扉に相対する昴の後ろに立つ。ちょうど、彼女を北と見立てたときに南となるように。桔梗は東へ。朔は西へ。ちょうど、それぞれの神獣が守護する方角へ。
 燐と透流が下がった、その時。
 地面が激しく揺れ動き、四人の足元を繋いで光の円陣が生じた。まばゆい輝きは、青く、白く、赤く、そして闇がゆらめく北へと収束する。

「扉よ。我らを迎え入れよ」

 昴の声が響く。

「我らは神の力を継ぐもの。四つのかけら。四つの血」

 半妖と、
 あやかしと、
 ひとと、
 生と死の狭間のもの。
 
(みち)を、我らに示せ」

「わわ」
 透流が茂みに倒れこむ。燐はとうに地面に腰を落としていた。
「こ、これは……」
 札が一枚一枚、剥がれていく。扉を縫いとめていた鎖が粉々の破片に変わり、やがて――。
「閉じろ!!」
「え……?」
「早く!!」
 紫苑が叫ぶ。しかし、間に合わない。
「――――?!」
 扉の隙間から飛び出した「それ」は、凄まじい勢いで彼らに襲い掛かった。