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封印の巻 第一章

  一

「久しぶりだね、紫苑。元気にしていたかい?」
 穏やかに笑う友人、そしてその息子。ほんの数週間見ていないだけなのに、こんなにも懐かしく感じる。だが、その郷愁以上に不審が勝っていた。紫苑は眉を寄せる。
「お前、都に居たはずでは……」
「うん、そうなんだけどね」
 息子である朔の手を引きながら、燐は紫苑の座っている濡れ縁に向かって歩み寄ってくる。
「白虎がどうしても行かねばならないって言うから」
 白虎の背に乗り、夜通し駆けて来たのだろうか。微笑んでいるその目の下に、隈ができていた。
「驚かせてしまってごめんなさい」
 礼儀正しく頭を下げる朔の方は、全く堪えていない様子である。やはり若さの違いかな、と紫苑は思った。
「いや、それは構わないのだが……」
「――そう」
 不意に、昴がつぶやいた。紫苑の隣から身動きし、濡れ縁の下へと降りる。素足だが、そのことは特に気にしていないようだった。
「時が来たのね」
「時?」
 彼女の黄金の髪を見ながら、問い掛ける。だが昴は振り向かなかった。
「あまり気乗りはしないのだけれど……」
 ――すまないな、玄武の巫女よ。
 朔の腕の中で丸くなっている白猫――白虎の仮の姿である――が、ぴんと尻尾を立てた。
 ――しかし、これはいずれは訪れる日のため……必要なことなのだ。
「わかっているわ。これでも一応玄武の巫女よ」
 昴は不敵な笑みを見せる。
「どういうことだ?」
 尋ねる紫苑の右手を、桔梗がぎゅっと握った。
「…………」
 見下ろすと、彼女の顔はあまり晴れない様子だった。長い銀糸の睫毛が、彼女の瞳の色を隠している。紫苑はその手を強く握り返した。いつだって、桔梗は彼を元気付けてくれた。だから、彼女が不安そうにしているときは自分が側に寄り添っていてやりたい。
「…………」
 昴がこちらをちらりと見て、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「それで?」
 燐が昴を見て首をかしげた。
「貴女が――上宮昴さん?」
「ええ。はじめまして」
 何かが切り替わったかのように、昴は満面の笑みで会釈する。もう今はくせになってしまったのか、初対面の相手には仮面を被り愛想をふりまいてしまう。そんな自分が少し癪だった。
「お久しぶりです、昴さん」
「朔くん、だっけ」
 見上げる少年に、昴はほっとしたように微笑んだ。桜色の髪の、一度は死した少年。
「お父さんと会えたのね」
「はい! その節はお世話になりました」
「いえ、良かったわ」
 朔に並び、燐が深々と頭を下げる。
「息子がお世話になりました。ありがとう」
 目の前に佇む親子の姿が眩しくて、昴は瞬きをした。
「いいえ。……私は何も」
 軽く一礼をして、振り返る。
「…………」
 穏やかな紫の視線が、こちらを見ていた。多分……、彼にはわかっているのだろう。これは、彼らが望んでも得られなかった家族の姿。胸がしめつけられるように、切ない。
 ――けれど……朔のいのちは歪な、かりそめのものに過ぎない。それを、昴は良く理解している。死した者を本当に生き返らせることなど、誰にもできないのだ。たとえ神獣といえども、神ではないのだから。神獣は、あくまで「神から使命を与えられた獣」であって、神ではない。だから、朔は――……。
「さて、挨拶も済んだようだが」
 紫苑が口を開いた。昴ははっと息をのむ。
「済まないが何が何だか全くわからない。誰か、説明をしてくれないか」
「……そうですね」
 朔が表情を引き締め、口を開いた」
「この出雲には、ある『封印』が眠っているのです」
「……『封印』?」
「どこから話せばいいのかしらね」
 昴はふう、と息をつく。
「それにしても……もうちょっと猶予があるものだと思っていたのに」
 先に都に行ってみたかったわ、とつぶやく。
 ――まず……、ひととあやかし、そして神の歴史を。語らねばならぬだろうな。
 深く響く白虎の声。紫苑はごくりと唾を飲み込んだ。
 
 
  二
  
 そもそも、何故この世にはひととあやかしが存在しているのか。そして、何故神がいないのか。
「神が……、いない?」
 燐がつぶやく。
「でも、お社にはちゃんと神がいらっしゃるだろう? 神無月以外の十一の月には、という意味だけど」
「そうは言っても、我々の目には見えないでしょ?」
 昴が反論され、燐は口ごもる。
「うーん、そういうのって目に見えるものじゃないんじゃないかな……」
 燐が助けを求めるように紫苑を見た。紫苑は小さく咳払いする。
「我々陰陽師は神と関わる訳ではないから、あまりその道には詳しくないが……」
 ――ふわり、と炎のゆらめきをその羽にまとった鳥が舞い降りた。朱雀。紫苑の肩に軽く爪を掛けて留まる。燐は思った。まるで――紫苑を守っているようだ、と。
「神はかつて、我々のいるこの世界に実在のものとして存在していた。その証拠に、古代における神の伝承は数多く残っている。そうだろう?」
「ああ……確かにそれはそうだね」
 燐は頷いた。
「だが、いつ頃から神々は姿を消してしまう――」
「ひとと神は、どちらが先にいたのかな」
 ――いい質問だ、橘燐。
 白虎と同質の、しかし異なる声。朱雀のものだ、と燐が気付くには暫しの時間を要した。
「ひとは、そしてあやかしはどこから来たのか。神はどこへ行ったのか」
「…………」
 紫苑は険しい顔で宙を睨む。
「その謎に関わるのが……『封印』なのか」
「そういうことです」
 昴は微笑む。紫苑になら、自然に笑いかけることができた。その傍らでちらちらと視線を送っている少女には、敢えて気付かないふりをする。
「巫女どのは、全てをご存知なのか」
「いいえ。今お話したこと程度ですよ」
 紫苑はひとつ頷き、朔を見遣る。
「朔は」
「同じです」
「……そうか」
 紫苑は桔梗を見下ろす。先ほどまで俯いていた桔梗が、いつの間にかしっかりと顔を上げていた。水色の視線は紫苑を捕えて離すまいとするかのように、強い。
「お前は、どうだ」
「――知りません」
 桔梗は胸の前でひとつ、拳を握っていた。
「もしかしたら青龍は知っているのかもしれない。――だけど」
 口元を少しだけ、ほころばせる。
「私は、紫苑と同じ目線で歩いていきたいのです」
 この世からひとつ隔てたところにいる、神とそれに連なるもの。神獣の一、青龍はいまや桔梗の魂の中に溶け、眠りについている。それでも、桔梗は何も変わらない。出会ったときから、ずっと紫苑の一番近くにあり続ける存在。
「…………」
 紫苑の全身を覆っていた緊張が、嘘のようにほどけていく。
「……そうか」
 紫苑は頷く。自分が柔らかな微笑を浮かべていることなど、少しも気付いていないようだった。
 
 
  三
  
「『封印』の存在は我ら玄武の巫女と長老家当主らのみが知らされ、なんびとも近付かぬよう厳重に管理されてきました」
 昴は厳かに言葉を紡ぐ。
「来たるべき日のために――と」
「それは一体……」
 ――「選択」なのだ。
 朱雀が言う。紫苑は肩に留まる神獣を見た。その赤い瞳は真っ直ぐに空を見上げている。
 ――かつて神々が行なったのと同じ、「選択」を……。
「神々と、同じ?」
 ――我ら神獣は、そのために地上に降りた。ひととして生まれ落ちた上宮昴。あやかしである桔梗。そして……、ひととあやかしの狭間のもの。
 紫苑は朔を見た。朔は頷く。
「それが貴方です。紫苑さん」
「え、それじゃあ朔は……?」
 燐が息子の顔を覗きこむ。
「父さん」
 朔は少し悲しげな表情で微笑んだ。
「僕が選ばれた理由は、そういう意味じゃないんだよ」
 ――ほんの少し、魂が神の側に近いもの……。
「僕は、一度死んだ存在だから」
 白虎によってかりそめの命を与えられた存在。彼がこうやって燐の元に戻ってきたのは奇跡でも何でもない。白虎によってよりしろに選ばれたという、ただそれだけのこと――。
「…………」
 燐は言葉を失い――息子を抱きしめる。朔はその腕に手を沿え、何かを小さくつぶやいた。何と言ったのかは聞こえない。もしかすると、それは謝罪かもしれなかった。
 昴はすっと父子から視線を外した。ことさらに明るい声を出す。
「明日、『封印』の地にご案内致しますわ。今夜はごゆるりとお過ごしなさいませ」
 紫苑は空を振り仰ぐ。陽は、山際へと徐々に近付いていた。