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照る山、紅葉

「何かくれないと悪戯しますよう!」
「…………」
 白い寝巻きを頭からかぶって突如登場した桔梗に、紫苑は怪訝そうな顔で答えた。
「お前、頭は大丈夫か」
「そ、そういう反応はなしです!!」
 ばっと脱ぎさって桔梗は赤くなったほおをふくらませる。
「しかしなあ……」
「昴さんに教えてもらったんです。何でもお父さんのいた国での習慣で、昴さんも昔お母さんに聞いたとか」
「寝巻きをかぶる習慣か? 変わった国なのだな」
 大真面目に頷く紫苑に、
「そんなはずないじゃないですか!」
 桔梗は手にした寝巻きをぶるんぶるんと振り回す。
「神無月の末に、子どもたちが街をお化けの格好して練り歩くんだそうです。で、悪戯されたくなかったらいいものをあげなきゃいけないんですって」
「それじゃあまるで脅迫じゃないか」
 どうせ子供の悪戯などたかが知れているのだろうが――さて、桔梗は何をしでかすつもりだろう。
「お前は何が欲しいんだ?」
「いいものです!」
「いいもの……」
 紫苑は思案顔で腕を組んだ。
「この家にあるものは私のものだが既にお前のものでもある。今更私がお前にやれるものというのも、思いつかない」
「……この家にあるもの、私のものなんですか?」
 水色の目を見開く桔梗に、紫苑は微笑んだ。
「何を言ってるんだ。お前は私の妻なのだろう?」
「あ……」
 桔梗は再び顔を赤らめた。ただし、今度は頬を膨らませてはいない。
 紫苑は彼女の髪を撫でながらつぶやいた。
「困ったな」
「じゃあ、悪戯にしましょうか?」
 彼を見上げてきらきらとした眼差しで見つめる桔梗に、紫苑は苦笑した。
「お前の悪戯は度が過ぎそうで怖いんだが」
 しかも、それはあながち杞憂とはいえない。紫苑は既にそれを身をもって知っていた。
 だが、桔梗には相変わらず自覚がないらしい。紫苑の台詞に彼女は眉をつりあげた。
「それどういう意味ですか?!」
「文字通りだ」
 紫苑はつめよる彼女をぐいと腕の中に抱きしめた。
「仕方がないから、お前の一番欲しいものを何でもやろう。何が欲しい?」
「…………」
 桔梗は不意に押し黙った。じっと紫苑を見つめたまま、唇を結んでいる。
「何でもいいぞ。新しい着物でもいいし、香でもいい。食い物でもいい。それから」
 思いつく限りのものを並べた紫苑に、だが桔梗は黙って首を横に振っただけだった。
「要らないのか?」
「ええ」
 やがて桔梗は微笑んだ。
「一番欲しいものは、もう側にあるんです。あとはどれだけこのまま側にいられるかが問題なだけ」
「…………」
 抽象的な答えに、一瞬思考が停止する。紫苑はその言葉をもう一度反芻しようとするが、それは桔梗の言葉に遮られた。
「じゃあ、明日一日を私に下さい。どこかにお出掛けしましょう」
「出掛けるのか?」
「はい。式神さんにお弁当作ってもらって。最近お天気もいいですしね」
「それはいいが、どこへ行くんだ?」
「そうですね……」
 桔梗は少しだけ考えたが、すぐに口を開いた。
「嵐山の方は紅葉が綺麗だと聞きましたから、見に行きましょう」
「まあ、それは構わんが」
 牛車の中にいれば、彼女の姿を誰かに見られることもあるまい。見られたとしても、陰陽師である紫苑の式神だと言い張ればいい。
「約束ですよ!」
 嬉しそうに笑う桔梗を見ていると、紫苑の心までもどこか弾むようだった。

 翌日、ふたりは牛車に乗ってことことと出掛けた。ひとけのない山の中、弁当を食べてほんのりと酒を含んで。ただ寄り添って、鮮やかな紅葉を愉しむだけの、のんびりとした時間。
「これでいいのか?」
 尋ねた紫苑に、桔梗は微笑んで頷いた。
「はい」
「そうか……」
 紫苑もそれ以上は尋ねようとせず、盃で唇を湿した。
「…………」
 指と指を絡ませ、頭を紫苑の肩に預けたたまま、桔梗は赤い山を見る。――その強い色を、頭に焼きつけよう。今日という日を紫苑と過ごしたことを、記憶に留めるために。
 欲しいのは、貴方。貴方の現在(いま)。そして貴方との未来(あした)。貴方と重ねた時の記憶――思い出。

 それは思い出の一葉。数え切れないほどの中で一際あたたかな色をした、一葉。