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おいしいごはんのつくりかた。

「透流」
「透流さん」
 彼の目の前には二種類の青。ひとつは深い青で、もうひとつは澄んだ水色だ。前者を彩るのは黄金、後者は白銀。まるで太陽と月のようだ、と思う。
「な、何でしょう……」
 透流が気圧されつつおどおどと聞き返すと、二人は同時に勢い良く口を開いた。
「料理を教えて!」
「下さい!」
「…………は?」
 透流は唖然と聞き返す。
 昴と桔梗。神獣に選ばれし少女たちは、限りなく本気だった。

 気を取り直した透流は、ひとまずふたりを落ち着かせようと話を聞いた。一体料理とは何のことか。何故突然そんなことを言い出したのか。
 紫苑が決して桔梗に料理をさせないことは知っていた。過保護なせいだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
「昔お粥を作ったら、紫苑寝込んじゃって……」
 寝込むほどの味とはどのようなものだろう。疑問に思いながらも、しょんぼりする桔梗を見ていられず、透流は昴に視線をうつした。
「昴さんは料理の経験、ないですよね?」
「……子供の頃、迷い込んだ子猫に餌を作ってやったことがあるの」
「……で?」
 昴は遠くに視線を投げた。
「庭中飛び回った後、二度と姿を見せなかったわ」
「ど、毒殺?!」
「違うわよっ!」
 昴はいきり立つ。透流は腕を組んで首を傾げた。
「うーん、どうやったらそんな殺人的な料理になるんですかねえ」
「さ……!」
「殺人的?!」
「あ、いや」
 二人を下手に怒らせたら冗談ではなく命がない。透流は青くなって首を横に振った。
「でも何故料理をしようと思われたんです? 紫苑さんとこは式神さんがいるし、うちは加乃ちゃんとおれがやってるでしょ?」
「わかってないですね、透流さん」
 桔梗は無意味に胸を張った。
「やっぱり好きなひとには手料理を食べてもらいたいものなんですよ」
「たしなみよ、たしなみ」
「……わかりました」
 昴の手料理……たしかにちょっといいかもしれない。透流はごく個人的な思惑に口元をゆるめる。
「おれが作れるのは本当に庶民的な料理ですよ。構いませんか?」
「いいわ。透流の料理はおいしいもの」
 微笑む昴にほだされて、透流はうっかり引き受けてしまった。そしてそれが彼の悲劇の始まりだった──。

「ぉぇ」
 体力があって良かった。透流は心底自分の強靭な肉体に感謝する。見た目はふつうなのに何故味がここまで破壊されているのか、透流にはわからない。桔梗も昴も、自分の皿から味見をして涙目になっていた。
「言った通りにしましたよね……?」
「したわ」
「うん」
「何でかなあ」
 首をひねるが、理由は良くわからない。ふたりに作らせたのはごく簡単な粥である。塩水で飯を菜とともに煮込む。何も難しいことはない。それなのに桔梗の粥は水っぽく、飯が溶けてねとねとしているし、昴のは飯が固まってしまって焦げ付いている。双方とも味は……もう表現できない。
「うーんうーん」
「……ぐすっ……す……」
 唸っているうちに、桔梗がすすり泣き始めた。透流はぎょっと体をこわばらせる。彼女を泣かせたと知られたら紫苑に殺されてしまう、どうしよう──!!
「しおっ……に、ごは……ん……」
「あーあーもう、泣くんじゃないの」
 昴がよしよしと背中を撫でた。まるで姉のようにも見える。
「これからも一緒に練習したら、いつかはできるようになるわよ。ね?」
 ──それはおれが教えるのか。透流は血の気の引いた笑みでうなずいた。料理を教えるたびに味見をしていたら、きっと彼は死んでしまう。彼女たちと違って自分はごくごくふつうの、何の力もない人間だ。彼を守ってくれる神獣はいない。
「でっ……でも……」
「桔梗?!」
「げっ!!」
 聞こえた声に、透流は飛び上がった。
「紫苑……」
 どこからともなく現れ、桔梗に駆け寄る。燐とともに宮中から帰って来たのだろうか。それにしても何故橘邸に桔梗がいるとわかったのだろう。勘だとしたら動物並みだが、これが愛の力なのだろうか。
「どうした、何を泣いている?」
「りょ、料理……」
「……料理、したのか」
 紫苑の口元が引きつった。嫌な思い出が蘇ったのかもしれない。今の透流には非常に良くわかる。
「うま、……できなっ……しおん、に……食べ……欲し……」
「わかったわかった。もう泣くな」
 紫苑は苦笑を浮かべ、桔梗を宥める。
「私は桔梗に食事を作って欲しいとは思っていないよ」
「…………!!」
 傷ついた目をする桔梗に、紫苑はそのまま続けた。
「だが、一緒に食事をして欲しいとは思っている。毎日同じときに同じものを食べ、味わいたいと……それでは駄目か?」
「……駄目じゃない……です、けど」
「たとえお前が作ってくれた料理だとしても、ひとりで食べるのは味気ないものだ。わかるだろう?」
「……はい」
「なら、一緒に帰ろう。夕飯の準備ができるまで遊んでやる」
「本当ですか?!」
 ぱっと顔を輝かせる桔梗。単純ねえ、などという昴の言葉は耳に入らないようだ。
「ああ、本当だよ」
 差し出された紫苑の手を握り、桔梗はくるりと透流を振り返った。
「透流さん、ご迷惑掛けてごめんなさい。ありがとう!」
「いえいえ。お安い御用ですよ」
「……透流、何だか顔色が悪いぞ。大丈夫か」
「気のせいですよー」
 逆流しそうになる胃を上から下へとなだめすかすように撫でながら、御門邸に帰っていくふたりを見送る。やれやれとため息をついた昴が、ぎょっとしたように透流を見た。
「あ、あんた……食べちゃったの?!」
 ――そう。紫苑と桔梗がいちゃつく、もとい話し合っている間、透流は昴の作った粥を平らげてしまったのである。顔色が悪いのはきっとそのせいだろう。
「ば、馬鹿! 何であんなもの食べるのよ!」
「だって……」
 気を抜くともどしてしまいそうになりながらも、透流は青い顔で微笑んだ。
「昴さんが作った料理。捨てるのもったいなくって」
「…………」
 昴が真っ赤になって立ち尽くす、その目の前で。透流は笑顔のままばたりと卒倒した。
 ――桔梗の料理が水っぽくなるのも、昴のが固まってしまうのも、もしかすると彼女たちの妖力が影響しているのではないか……そのことに紫苑が気付くのは、寝込んだ透流がようやく回復した頃だった。