instagram

第四章 ユメハオワリ 6~8

  6

「僕は、人類の『夢』を守るべく生まれた存在だ」
 赤い瞳が、光を宿して柔らかくにじんでいるように見える――気のせいだろうか。輝也は黙って「ノア」の言葉に耳を傾けた。
「でも、僕には『夢』という言葉の意味が良く分からなかった。……もちろん、言葉の定義は知っている。人類が知っていることで、僕の知らないことなんてないといっていい。そういうふうに作られたからね」
「…………」
「だけど、僕にはわからなかった」
 「ノア」は輝也を見つめる。――間違いない。「彼」は、微笑んでいた。痛くなるほど優しい笑顔で。
「……僕の存在意義は、『夢』を守ること。それは、人類そのものを守ることではないらしい。それとも、そのふたつは同じことなのかな?」
 「ノア」がそらをふり仰ぎ、輝也は彼にならって首を上向けた。白い天井が消え、そこには底なしの虚空が映し出されている。「ノア」の外側の光景を映しているのだろう。
「……僕は、君の『夢』なんだろう?」
 輝也は「ノア」へと視線を戻した。自分と同じ顔をした、それでいて異なる彩りを持つ存在。
「僕と君とは違う。同じじゃない」
「…………」
 「ノア」は彼を見返した。
「……君は、どう思う? この世界には、どんな意味があると?」
「…………」
 輝也は少しだけ黙って、やがてふう、と息をついた。
「多分、世界の意味について考えている人間なんてほとんどいないと思うよ。まあ、そういう思索を好む者というのはどこにでも一定の割合で存在しているだろうけれど」
「それは、世界の実態を知らないからかな? 『現実』と『夢』の二重構造に、全く気付いていないからか……?」
「それもあるだろうけど、それだけじゃないだろう」
 輝也はゆっくりと言葉を紡いだ。
「たとえば、僕は君の――『ノア』というものの存在を知っている。だけど、世界の意味なんて考えやしない」
「え?」
 「ノア」は意外そうに言って、赤い目を瞬かせた。
「どうしてだい?」
「えっと、むしろどうして考えなくちゃいけないの?」
 輝也はゆっくりと聞き返した。
「僕の生きる世界は、もう決まってる。ここで生きていくよりほかにないのに、意味を問い掛けてどうなるんだい?」
「…………」
 「ノア」は薄く唇を開けた。
「し、しかし……」
「世界に意味なんてなくていい。僕が生きることに――生き残ったことに理由など要らない。僕が今世界の中で生きている、その事実があれば他のことなんてどうだっていい。そう思うよ」
「……現実を、受け入れるってことかい?」
 輝也は曖昧に微笑んだ。
「僕らは時に世界を憂い、恨み、嘆き――それでも生きていく。生きていかなくちゃいけない」
「何故?」
「……生まれたから、ね」
 輝也の言葉は短く、端的だった。
「僕らは、ここに――『君』の中に生まれて、『君』とともに生きていく」
「……でも、そんなのは」
 「ノア」はつぶやく。
「永遠には、続かない」
「…………」
 「彼」は口元を歪めた。
「この旅路は、永遠じゃない。……こんなの、何の意味もない!」
 はじめて、「ノア」が声を荒げた。
「ゴールなんてない。いずれ、ここに積み込まれた受精卵が尽きて――それでおしまいだ。それとも『アーク』が負けてしまって、別の方舟に取り込まれるか……どちらにしたって、未来はないんだよ」
 吐き捨てるように告げられた言葉。輝也はそれをゆっくりと噛みしめるように理解した。つまり、「ノア」を作り出した人類たちに残されていたのは、「夢」だけだったのだろう。地球にはもう住めない。だからといって、次に住める星のあてもなかったし、どこか別の星の環境を作り変えるだけの余力もなかった。だから――。
「もし、いつか卵が全部死んでしまって」
 「ノア」は虚ろにつぶやいた。
「『夢』の世界を維持する意味がなくなってしまったら」
 赤い瞳が、輝也を映す。
「僕は、たった一人でこの虚空を漂い続けるのだろうか……」
「…………」
 輝也は、口を少し開け――そして閉じた。言葉が、浮かばない。

 このコンピュータは、人を知った。
 「夢」を知り、「意味」を問い、そして今――「孤独」を恐れている。
 
「ああ」
 「ノア」はふと天井を見上げるような仕草をして、少しだけ微笑んだ。
「また、勝ったようだよ」
「…………」
「いっそ負けてしまえば――終われるのにね」
 けれど、その終焉すらも「ノア」は怖いのだ。「彼」は、「夢」見る方舟なのだから。

  7

 なんとなく、違うと思ったのだ。浩哉にはそうとしか言えなかった。
 死んだはずの恋人が目の前に現れて、時間のやり直しを持ち掛けられて――心が動いた。二年前に戻り、「死ななかった」彼女と新たな時間を過ごそうと思った。歩めないはずだった未来を、ともに歩み直そうと。
 今までの二年間はすべて「なかったこと」になった。それは彼が何より、そして何度も望んだこと。その、はずだった。
 けれど――。
「ごめん」
 戦いを終えた「ポップ・アイス」の中で、浩哉はつぶやいた。
 ――別れ際に微笑んだ、彼女の顔を思い出す。悩みながらも、結局は元の世界を望んだ彼に、いいのよ、と彼女は言った。また、会えるかもしれないもの。本当よ。あなたがいつかお父さんになって、おじいちゃんになって。死んでしまって。あなたの情報を基に、「ノア」が疑似人格を作って。そして、私もまた作られたら。きっとまた、出逢えるわ。そしてきっとまた――私はあなたを好きになる。
 彼は目を閉じ、その日を想像した。それはとても幸せな――「夢」だった。

  8

「久遠君」
 透海は目を閉じていた。戦闘を終えた直後、感覚を「アーク」と一体化させたまま宙を漂うこの感覚。彼女はそれが嫌いではない。彼女の手は、まだ彼の手を握ったままだった。
「何だい?」
 聞き返してくる彼の声は、優しい。
「私ね……小さい頃からずっと、みんなとうまく馴染めなかったの」
 ぽつり、ぽつりと彼女は言った。
「何がいけなかったのか、実は今でも良く分からないのだけど。ただ、私は思ったことや考えたことを話しているだけなのに、みんな首を傾げたり、笑ったりしたわ。私の話を聞いてくれるのは、親と、輝也さんだけだったわ。特に輝也さんは、親よりも年が近かったし、何でも話せた」
 目をうっすらと開けてみる。啓は彼女の頭の横に腰掛け、彼女の顔を覗き込むように見下ろしていた。透海は面映ゆくなって、再び目を閉じる。
「それって、私が『アーク』の『コア』だったから、なのかしら? それに、輝也さんが『ノア』の『夢』だったから……?」
「多分、違うな」
 啓は笑ったようだった。
「君は変わってるんだよ、ただそれだけ」
「ええ?」
 透海は目を開けて彼を睨んだ。啓は肩をすくめる。
「褒めてるんだけど」
「本当?」
「本当」
 啓は柔らかく微笑む。
「でも、そういうところも僕は――」
「あ」
 透海は彼の言葉を遮るように声を上げた。
「輝也さん、無事かしら?!」
「…………」
 啓はむっとしたように唇を尖らせる。
「君は、二言目には『輝也さん』だよね」
「当たり前よ。大事な家族だもの」
「ふうん?」
 片眉を皮肉っぽく吊り上げ、啓は言った。
「じゃあ、僕は君の何?」
「…………」
 透海は一瞬視線を逸らしかけたが、思い直したように真っ直ぐ彼を見つめた。
「それはこれから、よ」
「……え?」
「だから」
 透海は握った手を小さく上下に動かした。
「これからもよろしく、久遠君」
「……うん」
 啓は笑った。
「こちらこそ」
 そうして、彼は身をかがめて彼女の耳元に顔を寄せた。
「これからは、僕にもいろんな話をしてよ」
「え?」
 囁くと、彼女の声が上ずる。啓は口元を緩めた。
「だってこれから、なんだろう? 君は僕を知りたい。君にも、僕を知って欲しい」
「…………」
 透海は横目でちらりと啓を見た。
「へんなしゅみ」
「そう?」
 啓は気にする様子もなく笑った。
「でも、君だってまんざらでもなさそうだけど?」
「?!」

 ――次の瞬間、透海は腹筋の要領で体を起こし、彼の銀髪を思い切りはたいていた。
 掌が痛む。
 それは、まぎれもない「現実」だった。