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第四章 ユメハオワリ 3~5

  3

『輝也さんって、幽霊信じる?』――全てはその質問から始まったのだった。
 何も知らないままでいられれば、その方がしあわせだったのだろうか。時任輝也は自問し、やがて首を横に振る。――そんなことはない。過去がこうであったなら、こうならなければ。そういった空想をすることを、二度と彼は望まない。「両親が生きていれば」――その願望が干渉したために歪んだ「現実」を目の当たりにして、彼はより一層そう思った。あれは、自分の望む世界ではない。少なくとも、自分の生きるべき世界ではなかった。
 輝也はぽつり、とつぶやく。
「僕はもう、絶望しない」
 何度転んでも、何度立ち止まっても。自分は前に向かって歩いていける。そのための力が、自分にはある。
 自分の歩んできた軌跡こそが、すなわち自分自身。過去に、何ひとつ切り捨てられるものなど存在しない。過去の続きにこそ、現在が――そして未来がある。
 この世界のありようなど、そして自分の正体など、関係ない。自分は自分。世界は世界。どちらも大切な、かけがえのないものだ。
「……それを教えてくれたのは、『ディープ・ブルー』なのかい?」
 背後から掛けられた声に、輝也は振り向いた。そこにあるのは、再び鏡のような――いや、違う。先ほど見た、色素のない自分と良く似てはいる。しかし、どこかが少し、違っていた。どこが違うのかと言われれば、それは多分……。
「君が」
 輝也は口を開いた。赤い瞳を真っ直ぐに見据える。
「『ノア』なの?」
「…………」
 無言のそれは、まごうことなき肯定であった。
「もうひとりは?」
 端的な問いではあったが、「ノア」が何を問いたいのか輝也にはわかっていた。つい先ほどまで同じ空間にいた、「ノア」の一部。いや、一部であって一部ではない。「ノア」に課せられた、時間を逆行できないという不文律を犯すことのできるシステム。「ノア」は、それのことを「暴走した」と説明していたようだが……。
 輝也は首を横に振った。
「わからない。いつの間にか、姿を消してしまったから」
「そう……」
 「ノア」は無表情につぶやいた。輝也は静かに語り掛ける。
「不思議なことがあるんだ」
「何だい?」
 言って首を傾げる「ノア」の仕草。透海に似ている、そう考えた輝也はあることに思い当たって顔をわずかにしかめた。恐らく、自分にも同様の癖がある。根拠はないが、そんな気がした。
「久遠君が言っていた――君の一部が暴走している、と」
「……そうだね」
「個人の願望に依って、時間を巻き戻し歴史を書き換えるほどの暴走。そんなものがもし本当に起こったとしたら」
 輝也はゆったりと腕を組んだ。
「世界はこんなに安定していられないんじゃないのかな」
「…………」
 「ノア」はただ無表情に彼を眺めている。
「僕が体験した範囲でも、既に死んだはずの人格を年齢相応な姿に再構成して見せている。こんなものを複数の相手に対してやるほど、ここの資源はあり余っているの? いつも戦ってそれを奪い合っていると聞いたのだけど」
「…………」
 輝也は無反応な相手に関わらず、容赦なく語り続けた。
「実際は時間を遡ったり、書き換えたりはしていないし、人格を再構成したりもしていない。君の一部である、『彼』が言っていた――『僕にアクセスして、都合のいい幻を見たってわけ』だって。つまり、幻なんだ。個人の記憶に介入して、幻を見せただけだ。それなら、たいしてメモリもエネルギイも使わないで済むはずだ」
「……つまり?」
 唐突に「ノア」に聞き返されて、輝也は一旦口をつぐんだ。少し間を開けて、静かに唇から言葉を滑り出させる。
「暴走、じゃないんだろう。君は、君の人格の一部が『時間の流れを遡ったかのような幻の世界を見せる』ことを止めなかった。ただ、それだけだ。あえて暴走しているかのように見せた。ありていに言えば、泳がせたんだ。自己の分裂を、ある程度までは許容した」
「何のために?」
 質問を繰り返す「ノア」に、輝也は少しだけ笑った。
「僕は君じゃないから、本当のところは良く分からない。ただ、言えるのは」
 『君は、この世界をどう思っているのかな?』――あの時、「ノア」と同じ顔をした「彼」はそう言った。『同じ問いに、「ノア」は、答えられるだろうか。僕は、それが知りたい』と。
 きっと、それが「彼」の存在意義であり、「ノア」が「彼」を存在させた意味でもあるのだろう。
 つまり、

「この世界の意味を、君は誰かに問い掛けたかったんじゃないのかな……?」

 輝也の言葉に、「ノア」は答えなかった。ただ、黙って――やがて静かに、ほんの僅かだけ、微笑んだ。

  4

「…………?!」
 身体が自由になった。透海が辺りを見回すと、それは見慣れた「ディープ・ブルー」の内部だった。先ほどまで彼女の側にいたはずの、啓の姿はない。
「久遠君」
「戦闘だよ」
 彼の声は聞こえる。だが、ひどく遠くから響いているようだった。いつもはもっと、近くで姿を見せてくれているのに。透海は彼が見当たらないことに苛立った。
「ちょっと、どこにいるの?」
「大丈夫、ちゃんとサポートしている」
「ここにきて」
「…………」
 透海の真摯な声に、啓は息を呑んだようだった。
「早く!」
 敵機は目前に迫っている。透海はそちらに意識を向けながらも、視界の端に現れた啓の姿を捉えた。
「こっちに来て。私、今動けないんだから」
「う、うん……」
 啓は面食らったようにその赤い目を瞬きながら、彼女の傍らまでやってきた。歩いてくるわけではない。空間を滑るように、近付いてくる。
「手」
「うん?」
 透海は黙って左手をぱくぱくと開閉させた。啓はぼうっとそれを見下ろしていたが、やがておそるおそるといったように手を伸ばす。
 ――指先が、触れた。
「…………」
 透海はそっと、それを絡ませて引き寄せる。啓はびくりと体を震わせたが、なされるがままに手を預けてくれたようだった。
「久遠君」
「な、なに?」
「ありがとう」
 透海の視線は既に真っ直ぐ敵を向いている。左手は、きつく啓の手を掴んで。
 虚空で火花を散らす爆雷、視界を灼く光線。「ディープ・ブルー」はその間を縫って疾走する。叩きつけたナイフが敵機の関節を一つ、跳ね飛ばした。
「な……何が?」
「…………」
 啓の視線を横顔に受けながら、透海は何も言わなかった。戦闘が激化して、続きの言葉を口にできるほどの余裕がなかったから、ということもある。だが、沈黙の理由はそれだけではなかった。
 ――私は、久遠君が「好き」なのかしら。
 透海は自問する。もちろん、嫌いではない。「ノア」に言った意味での「好き」なら、当然啓にだって当てはまる。彼の存在は「ディープ・ブルー」の「コア」である彼女にとっては大きな支えであり、「北原透海」にとっても大切な友人だ。
 では、彼はそれ以上の存在なのか? クラスメイトたちが恋愛について語るのと同じように、彼女は啓について語ることができるのだろうか?
 手を継げば、安心する。伝わる温もりから、力がもらえる。このあたたかな感情は、恋なのだろうか?
「透海さん」
「…………」
 視線だけで、彼女は答えた。見上げた啓は、彼女を見下ろして微笑んでいた。
「こちらこそ、ありがとう」
「…………」
 ――その笑顔は、何だか苦しい。
 透海はぐっとつばを飲み込み、目を逸らした。
「後で、ちゃんと話をしよう」
 啓は言った。その横顔は、苦笑を浮かべている。
「あんな、どさくさまぎれに告白しちゃうなんてね。大誤算だよ」
「ちょっと黙ってて」
 透海はぴしゃりと言った。
「今日も一機足りないの。気が散ってミスると、まずいから」
「…………」
 啓は彼女を見下ろし、やがて笑った。
「うん」
 透海の口調は荒っぽいものだったが、彼女の左手の力は一向に緩んでいない。むしろ、彼の手を強く握りしめている。そして、彼女の頬は真っ赤だった。
「…………」
 激しい戦闘の様子を見守りながら、啓は思う。もし――もし、万が一「ディープ・ブルー」が撃破される日が来るとするなら。その時は、自分も一緒に微塵となって散るだろう。
 ぶるり、と心の奥底が震えた。それは恐怖ではなく――歓びだった。

  5
 
「『ポップ・アイス』は、やはり起動しない……か」
『まだ連絡が取れないようです』
 「フレイア・ボトム」の「コア」――十河美鶴は返って来た人工知能の答えに、唇を噛み締めた。
「そう……」
 彼は一体どこに消えてしまったのだろう。最後に会ったときの、寄る辺ない眼差しを思い出し、彼はやりきれない気分になった。
 視界の隅で、「ディープ・ブルー」の機体が軽やかに舞う。闇を焦がす閃光の中でまた一つ、敵機が消滅した。
「一機いないから何だっていうんだ」
 「フレイア・ボトム」はつぶやいた。
「彼女が覚醒する前、我々は三機だった……それでも、負けはしなかった!」
 負けはしない。負けてたまるか。負けるわけにはいかない――今はいない、「彼」のためにも!
 両脇から挟み撃ちをするように攻撃を仕掛けてきた敵にバックして空を切らせ、先ほどまで自分のいた地点にありったけのエネルギー弾を叩き込んだ。真空中なので爆風は起きないが、反動で「フレイア・ボトム」は思わぬ方角へと宙を飛ぶ。
「しまった!」
 慌ててエンジンに点火しようとするが間に合わない。――「ノア」にぶつかる!! 電磁シールドに守られた巨大な「ノア」には傷一つつかないだろうが、この機体はそういうわけにはいかないだろう。
「くそっ」
 「フレイア・ボトム」は最悪の事態を覚悟した――が。
『危ないな』
 聞き覚えのある声が届いたかと思うと、彼の機体の赤い腕を白い腕が掴んだ。
『しっかりしろよ、「フレイア・ボトム」』
「な……?!」
 「フレイア・ボトム」は唖然とした。
「ひ、浩哉君?!」
『心配かけてごめん』
『やっと起動したか』
 「トール・グラス」のため息混じりの声。
『話は後にして、さっさとこいつらを片付けなければ』
『…………』
 無言のまま、「ディープ・ブルー」がまた一つ敵機を撃破する。
 ――「あれ」は、一体何なんだ。「フレイア・ボトム」は今更ながら「ディープ・ブルー」の戦闘能力に舌を巻いた。彼女は常に全方向に気を配っている。このような状況でその冷静さを保てる能力、そして最も効果の高い方法を計算してそれを選択する能力。まさに感嘆に値する。
 一体どんな「コア」が操縦しているのだろう――美鶴には想像もつかなかった。

 白い機体が、「ディープ・ブルー」の視界を横切る。
「……良かった」
 透海のつぶやきを耳にしたのは、傍らにある啓だけだった。