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第一章 ネムリハイツワリ 4~5

  4

「……は?」
 輝也は間抜けな声を漏らした。
「『ノア』の、夢?」
「ええ」
 啓は頷く。輝也は思わずこめかみを抑えた。
「僕の記憶じゃ、『ノア』ってのはコンピュータのことだろう? それが……『夢』?」
「『ノア』は史上最高のスーパーコンピュータですよ? その回路の複雑さは人間の脳にも匹敵する――いや、むしろそれを越えたとすら言われています。人格が生まれたって、ましてや『夢』を見たって、不思議なことじゃない」
「不思議だよ……」
 輝也は反論した。
「もし君が言うのが本当だとして、どうしていきなり今そんなことを言い出したんだい? 前は君も知らなかったんだろう?」
「ええ。透海さんが目覚めた頃には、わかっていませんでしたよ」
 啓は澄ました顔で言う。
「その後、『ノア』に教えてもらったんです」
「ええと……」
 輝也は何とか論理的に考えようと努めた。
「その、『ノア』はどうやって教えてくれたの?」
「話をしました」
「つまり、その時の『ノア』は人格を持っていたってことだよね?」
「ええ、そうですね」
 輝也はゆっくりと話をした。そうしなければ自分の考えの筋道を見失ってしまいそうだ。
「透海ちゃんたち『アーク』の『コア』は、現実と『夢』とを行き来するとき、意識の断絶を経験すると聞いた」
「ええ、その通りです」
「僕は、そんなの経験したことがない。それに、僕は『夢』の中で君と話をした記憶もない」
「…………」
 啓は黙り込んだ。だがその様子を見る限り、輝也の指摘に感銘を受けたから、ではなさそうだ。その証拠に、彼は苦笑を浮かべて顔を上げた。
「さすがに鋭いですね、時任先生」
「そりゃどうも」
 輝也は既に冷めてしまったコーヒーを口にして、少しだけむせた。
 啓は少しだけ身を乗り出した。
「問題はまさに、そこなんですよ」
「……どこ?」
「つまり――」
 啓はその赤い瞳を細める。
「『ノア』はその複雑な構造を基にして、複数の人格を併存させているようなのです。主人格は、確かに時任先生ではなく別にいます。実際に『夢』の中に具現化している人格は貴方だけだとは思うのですが」
「で、それの何が問題? まだるっこしいのは得意じゃないな」
 輝也がそうつぶやくと、啓はくすりと笑った。
「……そういうところ、透海さんと似てますね」
 ――この少年は、いつの間にか本当に彼女と仲が良くなったのだな。輝也はぼんやりとそう思った。透海は実のところ結構短気なところがあるし、結論を出すのを急ぐ癖もある。だが、彼女がそういう素の自分を露わにするのは自分の前だけでだと思っていた。
「まあ、結局のところ何が問題かというと」
 啓は笑顔を消した。
「『ノア』の一部が本体に反旗を翻している」
「……え?」
 輝也は思わず聞き返す。
「どういうこと?」
「この世界を維持しようとする『ノア』。その中に、それを嫌がる部分が生じたらしいのです」
 啓はため息をついた。
「自爆回路ができてしまった、とでもいえばわかりやすいでしょうか」
「わかりやすいけど」
 輝也は息を呑んだ。
「それは大ごとだね……」
「そうなんですよね」
 啓は肩をすくめた。
「『ノア』はもはやこの世界の『神』なんですよ。この世界の維持には欠かすことができない存在です。……今はまだ、本体の方が力を持っているけれど、もし自爆回路の方が主導権を握ったら……」
「洒落にならないね」
 ――この世界の実態は、そもそも洒落にも何にもなっちゃいないけど。輝也は言葉を飲み込む。
「それで、君がわざわざ僕にこの話を聞かせたっていうことは」
 輝也は眼鏡のフレームを押し上げた。
「何か、僕にしてほしいことがあるんだろう?」
「ご明察です」
 嫌味なほどに整った顔が、微笑む。
「ただ、僕らもまだどう動いたらいいのかは決め兼ねているんです。とりあえず今のところは貴方に自分の正体と、『ノア』の置かれている状態を知ってもらうだけで十分ですよ」
「そう?」
「僕らが一番恐れているのは、貴方が自爆回路側に取り込まれてしまうこと」
 啓の目が、まるで警告灯のように光る。
「大丈夫ですよね? 先生」
「…………」
 輝也はごくり、と喉を鳴らした。
「……うん」
 喉がひどく、乾いている。
「それから」
 啓は椅子から立ち上がり、輝也を見下ろした。
「透海さんには、今のところこの話は内密に。この前もあんなことがあったばかりだから、動揺させたくはありません」
「わかった」
 あんなこと、の内容は輝也もわかっている。だから、彼はうなずいた。啓はそれを見てほっとしたような顔を見せ、そしてすう、っと虚空に溶け消えた。
 輝也はその残滓を空間に探しながら、ぼんやりとつぶやく。
「……『ノア』の『夢』、ねえ……」
 ――僕が神様の見る夢なのだというのなら、何故。
「何故、僕の両親は死ななくちゃいけなかったんだ……」
 乗り越えたはずの痛みだったのに。身体に残る古い傷跡にじわり、と血がにじんだような気がした。

  4

 宇宙空間を漂う巨大な「ノア」を目掛け、敵機が襲来する。迎え撃つ為に起動した「アーク」は――三機だった。
『「ポップ・アイス」が応答しない』
 焦りを滲ませた「フレイム・ボトム」の声に、「ディープ・ブルー」は驚いた。
「どういうこと?」
『起動もしていないな。何か、トラブルだろうか』
 冷静沈着な「トール・グラス」の声も、わずかに上ずっている。一機少ないということ、それがどれだけのリスクなのか。「ディープ・ブルー」にはわからないが、とにかくまずいということはすぐに理解できた。
「…………」
 気付くと彼女の「エーアイ」がそこにいて、強張った横顔を彼女に向けている。透海は彼に尋ねた。
「久遠君? 何か、知ってる?」
「……わからない。でも」
 「エーアイ」は彼女に向き直った。
「勝たなきゃ、先はないよ」
「…………」
 「ディープ・ブルー」は不敵な笑みを浮かべた。
「言ってくれるじゃない」
 負けるものか。自分は決して、負けない。
「生きて、生き抜いて」
 歯を食いしばり、彼女は虚空を舞う。誰にも真似のできない、「ディープ・ブルー」ならではの軽やかな戦闘。複数の武器を同時に使用し、攻撃に空間的時間的な幅を持たせ、敵を翻弄する。あまりにも鮮やかな動き。
 腕を振りかぶり、ナイフを振るう。同時に敵機の背後で爆雷が破裂した。衝撃を堪えるように、歯を食いしばる。その隙間で、彼女は呻くように叫んだ。
「勝ち続けなきゃ――でなきゃ、今まで戦ってきた相手に申し訳が立たないじゃない……!」
「…………」
 彼女の「エーアイ」――啓は、彼女の横顔をじっと見つめていた。強い眼差し。紅潮した頬。力のこもった口元。
 胸がざわめく。目元に熱が集まる。その原因は、もう自分でもわかっていた。これは、故障なんかじゃない。
「僕は……」
 自分の回路の中だけに、その言葉を走らせる。
「君が……」