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第一章 メザメハヒカリ 3~6

  3
  
 「ディープ・ブルー」は何度かその感触を確かめるように、手のひらを開いたり閉じたりした。「アーク」がどういう素材でできているのかは知らないが、それはとても頑丈で、しかも滑らかに関節を動かすことができる。まさにロボットアニメの世界に出てくる巨大ロボットそのままだ。もちろん、「ディープ・ブルー」が「夢」の中で暮らしている世界にこのような技術力はない。彼ら人類を乗せた方舟である「ノア」といい「アーク」といい、まさに人類の技術力の集大成といえるだろう。ただし、その実質は棺桶にも似た――。
 「ディープ・ブルー」の「コア」は軽くかぶりを振り、つぶやいた。
「よほどの文明だったのね……」
『そうだね』
 答えたのは「エーアイ」十三号、またの名を「ユダ」。「ディープ・ブルー」の補佐である。
『下らないことで失われてしまったようだけれど』
「原因は何だったのかしら」
『さあ、その知識は与えられていないんだ』
「そう」
 敵機が接近した。「ディープ・ブルー」はエネルギー弾を放ち、その反動で少し後退する。
「そういえば、この前の戦闘は激しかったわね」
『そうだね』
 「ディープ・ブルー」はぼんやりと思い出す。――黄金色の機体。「ノア」を目指して攻めてくる彼らの攻撃はいつも以上に苛烈で、数で圧倒的に不利だった「ディープ・ブルー」たちは非常に苦戦した。それでも、最終的には全て撃破することができたのだが……。
「何だか、妙にしつこかったし」
 特にその中の一機には妙に手こずった。無敵を誇る「ディープ・ブルー」にしては珍しいことだ。今でもふと、その戦闘を思い返すことがある。
『焦っていたんだろう』
「何を?」
『…………』
 何の気なしに問うた一言に、返ってきたのは沈黙だった。
「どうかした?」
『敵にまつわる情報は、「コア」に聞かせるわけにはいかないんだ』
「そう」
 「ディープ・ブルー」はあっさりと答える。
「ならいいわ」
『……珍しく食い下がってこないね。君は、そういう隠し事や曖昧なのが嫌いだと思っていた』
「情報は」
 「ディープ・ブルー」の「コア」はくすくすと笑ったようだった。
「何にでも含まれているのよ」
 ――さっきの貴方の答えにだって、ね。
『…………』
『「ディープ・ブルー」』
 友軍機である「フレイア・ボトム」からの通信が入り、「ディープ・ブルー」は意識をそちらに向けた。
「何?」
『相手が撤退し始めた。警戒は緩めるわけにはいかないが、深追いは避けたほうがいいだろう。帰艦するぞ』
「了解」
 戦闘開始時よりは随分減った敵機が、徐々に退いていく。それを見送る「ディープ・ブルー」の耳に「ユダ」の言葉がかすかに届いた。――やっぱり君は、「ノア」の急所なんだろうね。
 それの意味するところは分からない。ただ、今は眠かった。睡魔が訪れると同時に、「コア」の意識は移送される。宇宙空間で敵と戦う「アーク」の中から、「ノア」内部に作られた「夢」の世界へと。
 「ディープ・ブルー」は、北原透海へ。
 「ユダ」は久遠啓へ。
 その「夢」こそが――現在「アーク」の「コア」以外の誰もが「現実」と信じて疑わぬ、それなのだった。
 
 
  4
  
 強い衝撃が体を襲い、彼はぐっと歯を食いしばった。実際、彼の肉体はそこにはない。それでも知覚刺激が細かくインプットされることで、彼にはリアルな感覚が与えられている。それは機体を滑らかに動かすのには役立つが、攻撃を受けた場合には不便なものだ。
「こいつら、強い……!」
 真空の闇の中で視界を作るのは、特殊な光源受容装置だ。それがシステムの過負荷のためか、かすんで見えた。
「あ!!」
 彼の友軍機が一つ撃墜され、彼は息を呑んだ。
「ミワ……!」
『分かっているわ。動揺しないで』
「でも!!」
 彼の前に立ち塞がる敵機。深い夜の色をしている。彼の操る機体よりは小型だが、明らかに性能は相手のものの方が優れていると思った。
「ミワ。教えてくれ」
 彼は、自分でも奇妙なほど落ち着き払っていた。
「こいつらは誰だ」
『……言えないわ』
「一つ、仮説がある」
『そんなことより』
 ミワは苛立ったように叫ぶ。
『来るわよ!』
「なあ」
 彼は慌しく光粒子砲の照準を合わせた。だが、彼の口調は状況に似合わぬほどのんびりとしている。
「俺たちが戦っている相手って」

 ――…………じゃないのか。
 
 頭蓋を貫かれるような震え。彼の意識は暗転した。

  5
 
「随分眠たそうだね」
 二時限と三時限の間の休み時間。大きな欠伸をした理に、啓が話しかけてきた。この間から感じていることではあるが、啓はやけに理に絡んでくる。北原透海以外のクラスメイトとは淡白な関係を築いているように見える彼が、何故だろう。
「ああ、まあな」
 理は涙目で啓を見返した。
「勉強のしすぎじゃない?」
 口を挟んだ透海の言葉に、思わず噴き出す。
「いや、その台詞北原にだけは言われたくない」
「そう?」
「そりゃそうだよ、北原さん」
 啓までも苦笑している。
「君、この前の試験だってトップだっただろう」
「……どうして知ってるのよ」
 透海はぎくりとしたように首をすくめた。
「僕は君のことなら何でも知ってるよ?」
「はァ?!」
 心底嫌そうに顔を歪める透海。啓はにこにこと笑顔を浮かべて彼女を見つめている。……なんだ、こいつら。理は目を瞬かせた。啓は透海のことが好きなのだろうか。それにしたって、強引すぎる迫り方ではある。むしろ逆効果ではないだろうか。
「でもさあ」
 理は気を取り直して口を開いた。
「トップならトップだったで、堂々としていればいいじゃないか。なんで隠すんだよ」
「堂々としていて、いいことなんてないのよ」
 透海は右手の人差し指と中指に挟んだシャーペンを左右に揺らした。
「だから、八千代君も黙ってて。いい?」
「別に、北原がそう言うならそうするけど……」
「ありがと」
 透海は少しだけ微笑んだ。理は頷く。
 そして感じるかすかな違和感。――どうして俺、こんなところにいるんだろう。
 啓が鋭く尋ねた。
「どうしたんだい?」
「いや……」
 理は曖昧に返事をして、不意にぎょっと身をすくめた。視線がある一点に止まる。そこには、あり得ないものが――いや、あり得ない場所にあり得ないような人影が――。
「あ、あ……」
「どうしたの?」
 透海が不思議そうに彼の顔を覗き込む。理は何度か瞬きを繰り返した。
 ――いない……。
「いや、何でもない。ごめん」
「そんなに眠たいの? 保健室で寝てきたら?」
「それほどじゃないよ。ありがとう」
「そう」
 透海はあっさりと頷き、興味を失ったように視線を逸らしてしまった。優しいのだか親切なのだか……突き放しているのか。よく分からない人格だと思った。
「何が見えたの?」
 啓に問われて理は苦笑を浮かべた。
「笑うなよ」
「笑わない」
 口調の真摯さに驚いて振り向くと、啓は真面目くさった顔で理を見つめていた。
「それがさ」
 理はグラウンドの隅に建てられている体育館を指差した。
「あそこ」
「体育館?」
「そう。その屋根に」
「誰かいたの?」
「うん……多分。見間違いだとは思うけどな」
「どんな感じだった?」
「啓、興味あるのか?」
 啓は頷いた。
「僕の友達も同じことを言っていてね。もしかしたら七不思議かも」
 啓はさらりと嘘をつく。もちろん、理はそうとは気付かない。
「そ、そうなのか?!」
 理は目を丸くしながら説明した。
「髪の長い女だよ。服は制服じゃなかった」
「へえ……」
 啓は微笑んで頷いた。
「友達が言っていたのとは違うみたいだ。やっぱり、何か見間違えたのかな」
「ま、そうだろうな……」
 理は頬杖をついてため息をつく。
「寝不足なのかも」
 最近夢ばっかり見るんだよな、と理はぼやいた。
「ちゃんと寝なよ」
 啓はぼんやりとしている理に声を掛け、自分の席に座る。――その横顔は、固く強張っていた。
 
 
  6
  
「『ヤチヨ・サトル』」
 彼女は小さく呟いた。
「『ゴート』で『コア』になっていた者か……」
 ぴったりしたボディスーツは近未来的で、到底現代人のものとは思えない。だが彼女の存在に、誰も奇異の視線を向けたりはしなかった。当然だ。誰にも彼女の姿は見えない。
 校舎の屋上フェンスに腰をかけ、風に長い髪を嬲らせる。
「まだうまく『ノア』が処理できていないようね」
 細い肩をくいっとすくめた。
「要請が来たらデリートしなくちゃいけなくなるかも……。でも、まずはあっちの方ね」
 彼女の視線がグラウンドの一点に吸い込まれる。グラウンドには体育の授業でバレーボールをプレイする少女たちの姿があった。彼女が見ていたのはそのうちの一人。
 ショートカットとセミロングの中間ほどの髪。中肉中背の健康的な肢体。
「…………」
 彼女が口にした少女の名前は風に流れて消えていった。