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第四章 ユラギハメザメ 5~6

  5

 まるで、液体の中に横たえられているようだった。それでいて手足はまるきり自由に動かせるというわけではない。そう、やや固いゲルに埋もれているといった表現が正しいかもしれない。そもそも今自分がどういう状況なのか、首を起こすことができないせいで良くわからない。
「……なんなのよ、これ」
 つぶやくと同時に、視界が開ける――頭上に広がる、ドーム状の空間。ガラス張りのように透けた天井には、暗黒の空が広がっている。ところどころに光の粒が転がっているのは、星屑だろうか。
「やあ」
 視線を動かすと、そこには啓がいた。水面の上数センチのところを、立ったまま浮遊しているように見える。格好はいつもどおりの制服だった。
「久遠……君」
 つぶやくと、彼はにっこりと笑って彼女の頭上に跪いた。赤い瞳が彼女を覗き込む。
「ようやく意識をこちらに持ってくることができたみたいだね」
「私、どうなって……」
「戦うのさ、今から」
「どうやって? 私これでもふつうの女子高生よ?」
「大丈夫」
 啓はうなずいた。
「いざとなれば僕が補佐するが――多分そんな心配はないね」
「どうして? 私、ラジコンも操作したことないのに!」
 抗議する透海の言葉に、啓は笑った。
「言っただろう、君は特別な『コア』だと」
「……ええ」
 普通の「コア」なら、おそらく彼女の抱く不安は的中する。だから「アーク」の扱いに慣れるまで、後方支援に徹させるのだ。だが、彼女にはそんな必要はないだろう。
「多分……」
 啓はすっと目を細めた。赤い瞳が鋭い輝きを宿す。
「君は、『ノア』に愛されている」
「……は?」
 「ノア」というのは、コンピュータのことを指すはずだ。戸惑う透海に、啓は苦笑を投げる。
「うん、まあ愛っていうのは便宜上の言い方だけどね。あながち外れてもいないような気がするなあ」
「どうして私なの?」
「さあ、どうしてかな? 僕にもわからない。確かに、君は魅力的な女の子だとは思うけどね」
「な、何言って……」
 啓は慌てる透海をよそに顔を上げ、ドームの外へと視線を投げた。
「来るよ」
「――――!!」
 透海の全身に緊張が走る。禍々しい黒い巨大な敵機。「ノア」を守る「アーク」と似ているようで明らかに違う形状のそれは、一路こちらを目掛けて突進してきていた。
「君が負ければ、世界が滅ぶ」
 啓は先刻言ったことを、もう一度言う。――ただし、今度は続きがあった。
「だが、君が世界を守らなければいけない理由はどこにもない」
 銀糸の睫毛に縁取られた目を伏せ、唇を弓なりにそらす。
「好きにすればいいさ」
「…………」
 透海はこれから戦いに赴く者とは思えないほど穏やかに微笑み、何事かつぶやいた。啓はそれを耳にし、少しだけ目を見開いて……やがて優しく微笑んだ。彼の掌が、彼女の頬を撫でた。
 
 ――「ディープ・ブルー」はこのとき、真の覚醒を迎えた。

  5

 「フレイア・ボトム」は焦っていた。相変わらず「ディープ・ブルー」は応答しないし、爆雷を叩き込むにも敵の装甲が思ったよりも分厚く、上手く関節部の隙間を狙わなければ破壊することができない。相手の攻撃を見るに、火器の種類や機体そのものの性能はこちらのアークが勝っているはずなのだが、機体の数は相手が圧倒的だった。
 ――そういえば敵同士が戦うことはないのだろうか。不意に、疑問が浮かぶ。
 彼らには全く敵についての情報が与えられていないが、それでも類推していればいくつかのことは分かる。たとえば、敵は彼らの母船である「ノア」を目指している、というようなこと。機体の数、装備や性能は、彼らのものと同じではないが大差ないことが多い――全般的に見て、敵は彼らに良く似ているということ。それらの持つ意味は、まだ明確な形を示してはいないが……。
『フレイア・ボトム』
 回線を通して呼びかけられ、はっと意識を戻す。声は「ポップ・アイス」のものだった。
「どうした?」
『「ディープ・ブルー」が起動した』
「そうか」
 ほっと息をつく。
「それは良かった。無制御とはいえ――」
『いや』
 「トール・グラス」が割り込んだ。
『いつもと様子が違う』
「どういうことだ?」
『はじめまして』
 高い声。「フレイア・ボトム」を含めすべてのものが息を呑んだ。
『今までご迷惑をお掛けしたね』
 こちらは一度聞いたことがある、「エーアイ」の少年の声だ。しかし先ほどの無機質な、それでいてどこか繊細な声は……。
「『ディープ・ブルー』か?」
『ええ』
『ようやく、というわけ』
 「トール・グラス」がため息混じりに言う。「ディープ・ブルー」は少し笑ったようだった。
『私にとっては、初めての戦闘のようなのだけど――』
 彼らの視界の中で青い機体が踊った。ばっと開いた両腕にあわせて爆雷が飛び散る。それは虚空の中に数々の火花を散らせた。広範囲への威嚇といった意味合いの攻撃だったのだろう、敵機にたいして傷は与えていない。だが、確実に敵機を戦線からさがらせることには成功していた。
『初めて、ねえ』
 「ポップ・アイス」は苦笑したようだった。機体に備えられた武器を、既に把握しているらしい。機体の動作もスムーズで、神経の接続には何の問題もないようだ。――彼女は確かに、強い。
「さて、やるか!」
 「フレイア・ボトム」――十河美鶴は軽く力を入れ直した。
 彼の思考に従い機体は動く。武器の種類さえ把握すれば、集中力次第で素人でも上手く操れる。「アーク」はそういうようにできていた。武器も、漠然とわかっていればいい。何となくこういう効果のあるもの、と思うだけでそれに一番近い武器が選ばれるのだから。つまり、大切なのは意志力、ということだろうか。敵と戦う気力を強く持つ、ということ。
 「ディープ・ブルー」の動きには無駄がない。「コア」の少女には、何の迷いもないのだろうか……。

 透海は今まで夢で見ていた戦闘の様子を思い出しながら、眼を閉じてそのイメージを追うことに専念していた。それで十分だ、と啓は言う。彼女の意識の中、啓はまるで彼女の隣りに寄り添っているように感じられた。
「さすがだね、北原さん。……あ、透海さんって呼んでもいい?」
「好きにしなさいよ」
 透海はぶっきらぼうだったが、啓は特に気にする様子はない。
「じゃあ、僕のことも啓でいいよ」
「下の名前で呼び合ったりしたら怪しいでしょ。貴方のファンに殺されるのはごめんよ」
「ファン? 何のこと?」
「貴方、気付いてないの……?」
「僕が気付かなきゃいけないのは、君のことだけだよ」
「……ちょっと黙ってて。気が散るわ」
「意外にうぶだよね、透海さんて」
 啓は楽しげに笑う。
 ――本当に変な人……ああ、厳密には人間じゃないんだっけ。透海は眼を開けた。啓の姿が見えない。そのことにほっとすると同時に、少し不満だった。
 啓に「好きにしろ」と言われ――そのとき自分がなんと答えたのか、実は覚えていない。今こうして戦っているところを見ると、自分は不戦敗を選ぶ気にはなれなかったようだ。
 輝也には気にしないといった。それは事実だ。自分はこの世界の命運を背負う気などさらさらない。けれど、この世界の存続を願うことには変わりはないのだ。自分は死にたいわけではないし、誰かを死なせたいとも思わない。そして――現実から、逃げ出したくはない。
「君が強いのは」
 啓がぽつりと呟いた。
「どうしてだろう。『ノア』とは関係なく、君はやはり強いよ」
「そう?」
 透海は右拳で光粒子ナイフを翳し、敵機の腹部関節につき立てた。がくがく、と機体に震えがはしったかと思うと敵機は機能停止し、力なく虚空を浮遊し始める。
「昔、ロボットアニメでも見ていた?」
 冗談めかして尋ねられ、透海は笑った。
「覚えはないわ」
「ふうん」
「ただ……」
 透海はぎりっと前を見据えて言った。
「負けるのは嫌いなの。自分が負けたくないと思ったものには、ね」
「へえ」
 啓は感心したような声音で言う。
「負けん気が強いんだ。それで、強いのかな」
「よくわからないけど……」
「いいねえ。真っ直ぐで、悩みがない。そういう覚悟って、美しいよね」
 ――この少年の台詞は、どこまで本気でどこまで冗談なのかがわかりにくい。透海はため息をついた。
「私だって悩むわよ……でもね」
 間近で炸裂した爆雷に体制を崩したが、逆方向に小爆弾を蒔くことでその爆風により何とか持ち直した。
「うん?」
「悩む価値のないものには悩みたくないの、私」
「…………」
「悩んで結論を出して、その結果自分の手で現実を変えられることに対しては悩むことも価値があると思うけど、そうじゃないことを悩んでも時間の無駄だもの」
 啓は少し間を置き、尋ねた。
「そういうのって時任先生の影響?」
「それもあると思うけど、それだけじゃないわ。きっと」
 これまでの十数年の人生で重ねた経験――彼女がそこから学び取ったものだ。たとえば他人は変えられないし、万人に好かれようとしても無理なこともある。自分に落ち度らしい落ち度がなくとも、集団から爪弾きにされてしまうこともある。それは自分にはどうしようもないことだから、くよくよ悩んでも仕方がない。反省するべき点を反省した後、現実を打開する方法を考えた方がよほどいい。戦うべき時は戦うし、撤退するべき時は撤退する。それだけのことだ。
 不意に、啓の姿が目の前に現れた。揺らめく銀髪が彼女の顔に触れそうになるほど、近い。
「……透海さんは強いねえ」
「誉められたんだと思っておくわ、久遠君」
「勿論さ。僕は強い人間が好きだよ」
 端正な顔を甘く微笑ませてそう言うが、
「……それはどうも」
 透海は冷ややかに答えた。
「やれやれ」
 あまりにそっけない反応にがっかりしたのか、啓はどこか芝居がかった様子で肩をすくめる。透海はその様子をちらりと見、ため息を噛み殺した。啓との会話は鬱陶しいようで、どこか心地良い。それでも彼は「エーアイ」なのだ。「ノア」というコンピュータにプログラミングされた、人格。
 ――だから、何なの。透海は不意にそう思った。彼は、私と何も変わらない。私の思考は生体の生み出す電気信号の集まり。彼のものは、電子回路から生み出されている。それだけの違いだ。何も、変わらない。
「……私も、変わらない」
 現実と夢が入れ替わっても、私は私。変わらない。

  6

 意識を失ってから数秒後、透海は無事に意識を取り戻した。「行ってきたの?」そう尋ねた輝也に、透海は笑ってうなずく。怖くなかったか。痛くはなかったか。心配する言葉は、その笑顔の前に消えた。彼女は、大丈夫だ。少なくとも、今は。
「私、決めたの」
 車から降りるとき、彼女はそう言った。
「どちらが『夢』かなんて、どうでもいい。でも私、負けたくない」
「透海ちゃん……」
「私、負けず嫌いだから」
 にっこりと微笑んで身を翻す。その後ろ姿を見送って、輝也はつぶやいた。
「うん、それは知ってる」
 初夏の夜の空気は、ひんやりとしている。その冷たい風に吹かれながら、輝也はしばし車の外に留まっていた。見上げた夜空にはほとんど星が瞬いていない。大きな街の中心部では無理もないが、何故かそのことに安堵を覚えて――。
「あそこで、透海ちゃんは戦ってるのか……」
 苦笑を浮かべた唇とは裏腹に、眼差しは真剣だった。