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第四章 ユラギハメザメ 2~4

  2

 駅前の喫茶店で、ふたりの青年が向かいあっていた。ひとりは十河美鶴、もうひとりは髪を明るい色に染めた、少し派手な印象の男だった。名前を柴田浩哉(しばたひろや)。美鶴よりひとつ年下で現在はコンビニでアルバイトをしている。
「ここへ来て急に慌しくなったな」
「……っすね」
 美鶴はコーヒーをすすり、浩哉はチョコレートパフェをスプーンでひとすくいした。外見も、服装も、雰囲気も、何もかも違っているふたりには年代以外の共通点などないように見えるが、実はそうではなかった。美鶴は「フレイア・ボトム」の、浩哉は「ポップ・アイス」の、それぞれ「コア」なのである。「トール・グラス」の「コア」は女性らしいが、会ったことはない。日常生活に「アーク」の「コア」としての自分を持ち込みたくない、その気持ちは彼らにも良く分かる。
 彼らが知り合ったのもたまたま同じ駅にいたときに二人そろって戦闘に呼ばれて気を失ったせいで――わずか一、二秒の間のことだったのだが、お互いに何となく気付いてしまったのだった。以来、彼らは時々こうして会っている。非現実的な現実と否応なく戦わざるを得ない日々の中、こうして戦友と話を交わすことでほっと救われたような気分になるのも、矛盾しているようではあるが事実でもあった。
 特に「ディープ・ブルー」が目覚めて以降は、漠然とした不安が彼らを包んでいた。「リニア・レイ」が健在だった頃にはなかった感覚――胸騒ぎ、とでもいえばいいのだろうか。
 美鶴は「エーアイ」、京から聞いた最近の情報をぽつりぽつりと語った。――「ディープ・ブルー」の「コア」が「ノア」に侵入した「プログラム」によって襲撃されたこと、それをどうにか撃退したということ。
「『エーアイ』の救出が間に合った、ってことっすか」
「いや……」
 浩哉に尋ねられ、美鶴が言葉を濁した。
「それがそうでもないらしくて」
「……どういうことっすか?」
 美鶴は困った表情でコーヒーを再びすすった。
「『コア』のいとこが、助けたんだそうだ」
「イトコ?」
「そう」
 浩哉は不可解そうに眉を寄せた。
「何者っすか? それ」
「それが、『エーアイ』たちの間でも一番の謎なんだって」
「『エーアイ』たちにも探れないことなんてあるんだ」
 浩哉の「エーアイ」は、彼のバイト先に時々現れる運送業の男だ。「エーアイ」という言葉からはまるでかけ離れた健康的な肉体を持つ男で、兄貴分という言葉がぴったりだ。「コア」に選ばれた当初の浩哉は強く反発したが、彼の説得の結果受け入れた。だが、最近浩哉は彼を避けている。一時は彼を頼れる戦友のように思ったこともあった。だが、彼らは所詮「エーアイ」なのだ。きっと、彼らは自分たちのことなど代わりのきく部品のようにしか思っていないに違いない。自分だけが慕っても、かえって寂しいではないか。
 ふと、浩哉はつぶやいた。
「俺たちって、何と戦っているんすかね」
「…………」
「『エーアイ』たちは答えられない……答えちゃいけないだけの理由があるんだろうって、十河さんは言いましたよね」
「……ああ」
「俺たちはもしかしてとんでもなく騙されているのかもしれない」
 浩哉は強い瞳で美鶴を見た。
「俺、時々そう思うんすよ」
「…………」
「これは嘘だらけの世界なんです――夢や幻で作られた、嘘っぱちの世界。こんな風にしていたって、所詮はゼロとイチでできているってわけでしょう?」
「『ノア』がデジタルだとすれば、そうだね」
「なんだか、馬鹿らしくなるんすよね――」
 浩哉はため息をつき、胸ポケットから煙草を取り出した。煙草を吸わない美鶴は軽く眉を顰めたが、口に出しては何も言わない。慣れた手つきで空気を抜き、浩哉はその薄い唇に煙草を挟み込んで火をつけた。
「いっそ、なくなってしまったほうがいいのかもしれないなって――俺たち人類は地球と心中しておくべきだったんじゃないかって」
「君がそう思うのは勝手だけど」
 美鶴ははっきりと言った。
「戦うのが嫌だと思うようになったら、さっさと『エーアイ』にそう言ってコアを交代してもらうべきだ。君の個人的な感傷で僕は死にたくない」
「死……?」
 浩哉は綻んだ唇からふわ、と煙を吐いた。
「戦闘中に死んだら、どんな感じなんすかね」
「…………」
 浩哉は痛々しい笑みを見せる。
「……好きな人がもし擬似人格だったらって思うと、辛くないですか」
「…………」
 美鶴は黙り込んだ。――そういえば、浩哉は「エーアイ」とあまりコンタクトを取っていないと言っていた。美鶴は案外とあっさりこの現実を受け入れたのだが、浩哉はそうでないのかもしれない。
「そうしたら、もし彼女が死んでもまた同じデータを元に、誰か他の人間が作られるのかって」
「…………」
「親父も、お袋も……みんなみんな、偽物なのかな……」
 美鶴は浩哉を遮った。
「人格が実存か擬似か、そんなに重要なことかな? どちらであれ、君を想う家族や恋人の気持ちは本物だろう?」
「どうして――」
 浩哉は縋るような目つきで美鶴を見る。美鶴はふ、と微笑んだ。
「何が本物で何が偽物かなんて、誰にもわからない」
「…………」
「『ノア』がせっかくわからないようにしてくれてるんじゃないか。あまり気にしない方がいいよ。どちらだって、たいして僕らに影響はないんだし」
「…………」
「だから――敵が何だっていい、僕は戦う。この世界が、僕には必要だから」
「…………」
 しばらく黙っていた浩哉はやがてふう……と息をついた。
「そう――ですかね」
 眼を上げて弱く微笑む。
「まあ、俺もまだ、生きていたいです」
「そりゃそうだろう」
 美鶴も笑った。
「まだ若いんだから」
「十河さん、一歳しか違わないのにそんなおっさんくさいこと言わないで下さいよ」
 朗らかに笑いながらも、浩哉の胸には得体の知れない悲しみがこみ上げてきて――彼らの他には誰も知らない真実を背負う背中が、小さく震えた。

  3

 ――貴方は一体、何者なんですか。
 啓の問いが頭をめぐる。輝也はふう、とため息をついてシートベルトを締めた。結局あの問いには答えられぬまま、彼は帰宅しようとしている。エンジンを入れようとキーを回しかけた姿勢のままぼうっとハンドルの辺りを眺めていると、軽くウィンドウを叩く音がした。
 驚いて振り向くと、そこには透海がいる。辺りを気にするように見回しながら、「乗せて」と唇の動きで告げた。輝也も辺りを見回したが、この教職員専用駐車場に誰かが来る気配はない。頷いてロックを外すと、滑り込むように透海が乗り込んできた。
「よいしょっと」
 スカートがドアに挟まらないように手で整え、鞄を胸の前に抱える。輝也はそんな彼女を見ながら、ぼんやりとつぶやいた。
「こういうの、良くないなあ。公私混同だよ」
「私が気分が悪くなった、ってことにしたらどうかしら」
 悪戯っ子のような表情で透海は微笑む。
「偶然通りかかった『時任先生』が、親切にも私の家まで送ってくれるの」
「……シナリオライターだね、『北原君』は」
 冗談めかして笑ったあと、不意に輝也は真顔になった。
「どうする? このまま真っ直ぐ帰ろうか?」
「どちらでもいい、けど……」
 笑みを消し、透海は呟いた。
「話したいな。輝也さんと」
「…………」
 輝也は無言で車を発進させる。彼女が自分と同じ気持ちでいたことが、今は何より嬉しかった。

 しばらく運転を続けた後、やがて輝也は車を止めた。それは市を一望できる山の上。市街地と山が密接しているこの街であるからこそ存在する場所だ。日が暮れきってしまうと美しい夜景が見られるのだが、今はまだ夕焼け色に染まる街並みが見下ろせるだけ。それでも、とても綺麗だった。
「デートスポット?」
 ぽつりとつぶやいて、透海が小さく吹き出した。輝也は苦笑を浮かべながら訂正する。
「それはもうちょっと前の展望台。ここは少し行き過ぎてるから周りに何もないけど、意外と穴場なんだ」
「ふうん……。輝也さん、ここでデートしたことあるの?」
 興味津々で尋ねる透海に、輝也は首を横に振った。
「いや。浅川からの受け売り」
「そうなんだ?」
「うん。学生時代からあいつは良くここら辺まで足を伸ばしていたみたいだ」
「ふうん……」
 透海は目を細めて茜色の街並みを見つめる。
「…………」
 輝也は黙り、その横顔を眺めた。透海の唇が長く、ゆっくりと息を吐き出す。
「……ま、いいか」
「え?」
 輝也は聞き返した。透海は髪を軽くかき上げながら、
「気にしないことにしたの」
 と微笑んだ。
「私の生活はこの世界にあって、それ以外は関係ないんだから」
「…………」
 ――「ディープ・ブルー」としての自分については考えない。そういうことだろうか。珍しく、輝也は透海の心をはかりかねていた。
「久遠君は、私が負けたら世界が滅びるって言ってたけど」
「うん」
「そんなこと言われてもって感じよね」
「…………」
 強がる瞳が揺れている。
 ――ああ、信じてしまったんだな。輝也はそう思った。彼女は啓の言ったことを信じている。この世界は「ノア」というコンピュータによって制御された、「ヴァーチャル・リアリティ」なのだと。透海は既に信じている。
 彼自身は結論を急ぐ必要もないので考えもまとめず保留にしているのだが、実際に敵と戦う「アーク」の「コア」であると言われている透海は、そう暢気にも構えていられないのだろう。彼女の見る「夢」の存在もある。
 それでも、普段の慎重で疑い深い彼女にしては妙にあっさり信じてしまったような気もする。輝也は視線で彼女の表情を探った。透海はそんな彼に気づいたのか、苦笑に近いような笑みを浮かべる。
「そんなに心配しなくていいわよ。むしろ輝也さんこそ何者? そっちの方が不思議」
「さあ。何者だろうねえ」
 輝也は笑った。
「別に何者だっていいよ。あまり実生活に支障はないから」
「そうね」
 くすっと笑い、そしてすぐ真顔に戻る。そして、透海の視線が不意に宙を彷徨った。細められた瞳に星のようなきらめきが躍った――ような気もする。
「透海ちゃん? ちょっと……」
 ぐらりと傾いた体を抱きとめる。
「透海ちゃん!」
 慌てて顔を覗きこむと、彼女は眼を閉じていた。まるで眠っているように……。
「…………」
 ――戦いに、呼ばれたのか。輝也は厳しい表情になり彼女をそっとシートに横たえる。赤い夕陽が、透海の白い顔にまだら模様を落としていた。