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第三章 カゲロウハユラギ 4~6

  4

 「フレイア・ボトム」、「ポップ・アイス」、「トール・グラス」の三機は緊急出動した。敵機が襲来してきたわけではないので、機内待機である。
『全く、人遣いの荒い』
「そうも言ってられない」
 「フレイア・ボトム」はつぶやいた。
「ここで「ディープ・ブルー」がやられると、かなりまずいことになる」
『まずいどころじゃない』
 「フレイア・ボトム」とともに緊急待機している「エーアイ」7号――水崎京が告げた。
『本当に世界が滅びるかもしれないわ』
『……ちっ』
 「ポップ・アイス」が舌打ちをする。
『何故』
 「トール・グラス」がぽつりとつぶやいた。
『何故、「ディープ・ブルー」はそこまで特別なんだろう』
「『トール・グラス』?」
『我々は既に「リニア・レイ」を失いました。これ以上、「アーク」を一機たりとも失うわけにはいかないということです』
 己の「エーアイ」の回答に、「トール・グラス」は声を荒げた。
『嘘だね。いや、嘘はついていないかもしれないが、真実そのものじゃないだろう』
『……確かにな』
 のろのろと「ポップ・アイス」が言った。
『「ディープ・ブルー」は明らかに特別だ。機体が特別なのか「コア」が特別なのかは知らないが……何かがおかしい』
『それは――』
「ここで「エーアイ」たちを責めても仕方がない」
 「フレイア・ボトム」は口を挟んだ。
「彼らには答えられないこともある。あくまで彼らは『ノア』に直接制御されている存在なのだから、制約は大きい」
『そんなこと言ったって……』
「むしろ」
 「フレイア・ボトム」は「ポップ・アイス」を遮るように言葉を継いだ。
「『エーアイ』が話せない、話せないという事実にこそ、ヒントがあると考えるべきだ」
 先ほどから「エーアイ」は沈黙を守っている。
『それはつまり……?』
 「トール・グラス」が聞き返す。「フレイア・ボトム」は言葉を変えて言い直した。
「我々の敵が何者であるか。『エーアイ』は決して教えてはくれない。それは、『ノア』が我々に知られたくないと思っているからだろう。同じように、『ディープ・ブルー』が何故特別なのかも知られたくはないんだ」
『ふん……』
「少なくとも、二つ理由が考えられると思う」
 「フレイア・ボトム」は淡々と話し続けた。
「一つ、知られると我々の戦意が失われると『ノア』が判断した場合」
 ――実は、敵の正体が一切知らされない理由はそこにあるのではないか、と「フレイア・ボトム」――十河美鶴は考えていた。だからといって、何かを具体的に類推できているというわけではない。
『なるほどな』
「もう一つは、」
 意味がないことだと知っていながら声を低める。
「それが『ノア』にとっての弱点である場合、だ」

  
  5

 啓は不敵な笑みを浮かべたまま軽く和臣に左手を掲げた。
「さて、そろそろはじめさせてもらうよ。エマージェンシー・モードを長く続けると、システムに過負荷が掛かるからね」
「知ったことか」
 和臣は吐き捨てた。瞳が濃い緑色に光り、透海を強く睨みつける。彼女はぶるりと震えた。
「『アイソレーション』」
 啓はそう呟き、透海の腕をぐっと右手で掴む。――そういえば、啓は左利きだった。シャーペンも左手で使っていたような気がする。透海は現実離れした「現実」の中、ぼんやりとそんなことを思っていた。
 彼の左手の中に突然光の束が生まれ、やがてそれは収束して銃剣のような形をとる。気付けば、和臣も同じようなものを手にしていた。まるでSF映画の世界だ。信じられない。信じられないけれど、これは夢ではないのだ。夢だったならば、どんなにいいだろう……。
「……やッ!」
 先に動いたのは和臣だった。滑るような動きで啓に突きかかる。だが、啓の動きは彼よりも早かった。透海を腕の中に庇うようにしながら体を一回転させて和臣を空振りさせ、その背中を袈裟切りする。
「ぎッ……」
 和臣はたたらを踏んだが、そのざっくり裂けた背中からは血の一滴も流れなかった。ぱっくりと空いた傷口の奥には、底なしの闇が詰まっている。
「え……?!」
 透海のひび割れた声になど二人は頓着せず、目にも止まらない攻防を続けている。
「お前……何者だ?」
 和臣は眉を顰め、啓を睨みつけた。激しく動きながらも、息のひとつも上がっていない。傷の痛みも感じていないようだった。
「戦闘用の『エーアイ』ではないお前が……迎撃システム以上の攻撃を操るなど」
「おかしいと思うのかい?」
 啓は柔らかに微笑む。
「それはね、僕の名前にヒントがあるんだよ」
「名前……?」
「そう」
 啓は不意に加速して踏み込み、和臣の手から「光」を打ち払った。
「……ちっ」
 慌てて和臣は啓の間合いから離れる。そうして新たに「光」を手に形作った。啓は穏やかに名乗る。
「僕は十三番目の使徒、『ユダ』の名を冠している」
「『ユダ』?」
 透海がつぶやくと、啓は和臣に視線を固定したままこくりと頷いた。
「裏切りの、使徒……」
「そういうこと」
 啓は戦闘中とは思えないほどの愛想良さで、淡々と物語る。
「『ノア』による僕への支配系統は不完全だ。だから、僕は『ノア』のシステムの中で『自我』というものを持ち合わせている、唯一の『エーアイ』なんだよ」
「何だと……?」
 和臣は理解しがたいといったように目を細めた。
「『ノア』がそんな存在を許しているのか?!」
「というよりも、『ノア』の製作者が意図的にそういう風にプログラミングしたんだね」
 明らかに啓は優勢に立っていた。和臣は徐々に防戦一方になっている。
「その特別な『エーアイ』が補佐に付く、『ディープ・ブルー』……」
 不利な状況にも関わらず、和臣は笑みに唇を歪めていた。気味が悪い。透海の足は細かく震えていた。
「やはり生かしておくわけにはいかないな!」
「?!」
 かっ、と辺りに光が満ち、透海は反射的に眼をつぶる。
「……しまった!」
 らしくない啓の焦った声が聞こえ、やがて――透海は彼の手の感触が腕から消えたことに気付いた。

 やがて光が収まって――そこには和臣と透海の二人だけがいた。久遠啓の姿は、どこにも見当たらない。透海の体中の産毛がぞわり、と逆立った。
「ちょ、ちょっと! 久遠君!!」
 声を張り上げて彼の名を叫ぶが、返事はない。和臣はにたにたと笑っていた。
「脆弱な仮設ディレクトリだが、あの『エーアイ』がここに入ってくるまでには時間がかかる……」
 そうして一歩、透海の方に踏み出した。
「お前を消してしまうのに十分な、時間が」
「…………!!」
 透海はぞっと顔を青ざめさせる。和臣がさらに一歩近付いた。そして、動く!
「きゃっ!」
 透海は間一髪で和臣の繰り出した攻撃を避けた。
「ち」
 舌打ちをするが、彼の表情には余裕がある。
「逃げても無駄だぞ」
「そんなこと言ったって」
 透海は身を翻して背後に駆け出す。
「死にたくないもの! 逃げるわよ!」
 しかも、こんな訳のわからない状態で消されてしまうなんて、真っ平だ。
「結局久遠君は何も説明してくれなかったし……!」
 「君を守る」なんてくさい台詞を口にしておきながら、一体彼はどこへ行ってしまったのだろう。
 久遠啓――それは彼の本当の名前ではないらしい。「アーティフィシャル・インテリジェンス・サーティーン」。「エーアイ」。「ユダ」。透海をサポートする為の人工知能だと言っていたか。何の事だか、良く分からない。 ――「ディープ・ブルー」。夢に見るあの青い機体は、どうやらそういう名前らしい。夢? いや、あれは夢じゃないと啓は言っていた。あれが現実なのだとしたら、普段の生活は一体何なのか……?
「いい加減にしろ」
「や……!」
 透海は凍りついて足を止めた。背を向けて逃げていたはずなのに、いつの間にか和臣が真正面に立っている。
「さて――」
 和臣は手にした武器を振り翳した。足がすくんで動けない。もう、声すら出なかった。ただぎゅっと、目をつぶる。
 ――助けて……久遠君! 輝也さん!

「透海ちゃん!!」

「……?!」
 聞き慣れた声と共に、透海は何かに抱きかかえられていた。おそるおそる目を開けた彼女は驚愕し、声をあげる。
「か、輝也さん?!」
「何?!」
 輝也は透海を両腕で庇うようにしながら、怒号を上げた和臣を見遣って眉を顰めた。
「君、吉野君……じゃなかったっけ?」
「そ、そうなんだけど」
 彼に抱えられたまま透海が答え、それを聞いた輝也は首を傾げる。
「どうしてクラスメイトに襲われているんだい? あと、ここってどこ?」
「そんなの私が聞きたいわよ!」
「何故……何故仮設ディレクトリに直接……」
 和臣はぶつぶつ言いながらも輝也に武器を向ける。輝也はその先端にじっと視線を当てた。一言、つぶやく。
「消えろ」
「な……!!」
 透海のみならず、和臣までもが驚愕の表情を浮かべる。和臣の手にしていた武器が、彼の右腕ごと忽然と掻き消えてしまった。断面からは相変わらず血も滴らず、良く見るとそこには細かな数式のようなものがびっしりと並んでいた。
「お前、何者だ?!」
 和臣には痛覚はないようだったが喪失感はあるようで、ふらつきながら青ざめた顔でじっと輝也をにらみつけた。
「…………」
 輝也は返事をしない。というよりも、自分でも説明できなかった。気が付いたら目の前で透海が襲われていて、慌てて彼女を攫った、それだけだ。何故、和臣の持つ武器を消すことができたのかもわからない。ただ、できるような気がした。そうとしか言えない。
「輝也……さん?」
 透海の顔に視線を向けると、彼女は戸惑ってはいるものの、ほっとしたように輝也を見つめていた。その視線に、輝也の心もまた落ち着いていく。
「大丈夫かい? 僕にも全く事情が飲み込めていないんだけど……」
「それはあとでご説明しましょう。北原さんにもそう約束していたことでもあるし」
 澄んだ声が和臣と輝也の間に割って入った。光り輝く刀身のようなものが、和臣をざっくりと切り裂く。その間隙から姿を現したのは、やはり久遠啓だった。
「あ……」
 呆気なく和臣はばらばらと崩れていく。虚空に数式が溶け、やがて跡形もなく消えていった。
「やれやれ、『吉野和臣』をバックアップから再構成してもらわなきゃな」
 啓はつぶやきながら、くるりと彼らを振り向いた。
「時任先生、はじめまして。どうやってここに来られたのかは知りませんが……ともあれ無事で何よりです」
「うん、まあ、そうだね」
 輝也は目を白黒させながらうなずいた。
「北原さんも、無事で何より」
 にっこりと笑って啓は言う。それが、透海の癇に障った。
「……い、」
 輝也の腕から離れ、啓を睨みつけて大声を上げる。
「いい加減に説明して!!」