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第一章 ハジマリハユメ 5~6

  5

 三機の「アーク」のうちの一、「ポップ・アイス」はふと母船「ノア」を見遣った。正確には頭部を囲んで三百六十度方向にとりつけられているセンサーのうち、「ノア」に向いているものの情報を優先的に選択受信した、ということになる。
『どうした、ポップアイス?』
 友軍の「アーク」、「トール・グラス」からの通信に、「ポップ・アイス」は曖昧に答えた。
「今、何か……」
『よそ見をするな、ポップ・アイス』
 焦りをにじませたこの声は、「フレイア・ボトム」だ。「ポップ・アイス」は白、「トール・グラス」は深緑、「フレイア・ボトム」は赤色に塗装された、人型宇宙空間戦闘機であり、その機体は「アーク」と呼ばれている。彼らはその「アーク」のパイロットたる「コア」なのだった。
 彼らは今、敵と戦っている最中である。しかも先ほど「リニア・レイ」を撃墜され、かなり苦しい状況に置かれている。
 「ポップ・アイス」は「ノア」から意識をそらし、迫り来る敵機に向かい爆雷を打ち出した。闇の中ではじける細かい光はひどくささやかだが、実際はすさまじいエネルギーが空間に放出されているはずだ。
「残り何機だ?」
 目標のうち手こずっていた一機を破壊したことを確認し、「ポップ・アイス」は問う。
『分からん。しかし、こちらよりは多い』
『…………』
 答える「トール・グラス」。一方、「フレイア・ボトム」は沈黙している。
 敵機は友軍の「アーク」と同じような姿と大きさをしていて、細かい部分の形状が違っているだけに見える。操る武器も、その威力さえもが良く似ているのだが、敵が一体何者なのか、「アーク」を操る彼らは知らない。彼らが「コア」となった時に現れた、彼ら専属の「エーアイ」――人工知能たちも、そのことに関しては頑として口をつぐんだ。つまり、誰も教えてくれない。気にならないといえば嘘になるが、気にしても仕方がない。向こうが全力で襲ってくるのだから、こちらもやり返すしかない。
『おい』
 不意に「フレイア・ボトム」が口を開いた。
『「アーク」が起動したぞ!』
『何だと?』
 「ノア」を戦闘から隔離し、守っていた超電磁波シールドがゆっくりと下ろされ、そしてずっと「コア」不在のままに保管されていたはずの、最後の「アーク」がゆっくりと搬出されてくるのが見えた。その色は、深い深い青。
「……『ディープ・ブルー』?!」
 「ポップ・アイス」は叫んだ。虚空と同じ、闇色の機体。今はまだ、微動だにしていない。
『しかし、通信に「コア」が応答しない。どういうわけだ?』
 「フレイア・ボトム」がつぶやいた。
『回線はオープンになっているはずなのに……』
『戦闘を続行しよう』
 冷静な「トール・グラス」の言葉に、他の二機は体勢を立て直した。そうだ、敵は目前に迫っている。
『コンタクトは後でもとれる』
「了解」
 「ディープ・ブルー」は沈黙を守ったまま浮遊するようにこちらに向かって進み、やがてゆっくりと身を起こした。眼に当たるサーチ・ライト部分が白く発光している。間違いなく起動している、と「ポップアイス」は思った。
 ――途端、青い稲光が疾走した。
「?!」
 少なくとも彼らにはそう見えた。敵機との距離をあっという間に詰め、至近距離でエネルギー弾を連射する。
『な……?!』
 息を呑む彼らの目の前で「ディープ・ブルー」はさらに身を翻し、搦め手から掴み掛ってきていた敵機の腕を力任せに引きちぎった。真空中とはいえ放電が発生し、視界が白くスパークする。
「なんだっていうんだ?!」
 「ポップ・アイス」が叫ぶ。
「『ディープ・ブルー』の『コア』は、一体何を考えて……」
 片腕のなくなった敵機は旋回しながら分解し、やがて真空で破裂した。破片が雨あられと降り注ぐ。これでは友軍機にまで傷をつけられかねない。
「……ちっ」
 「アーク」たちは一端退いた。ちょうどそのとき、
『やあ、はじめまして』
 彼らの回線に、年若い少年の声が入り込んだ。
『君が「ディープ・ブルー」のコアか?!』
 「トール・グラス」が詰問すると、少年の声は違う、と言った。
『僕は「ディープ・ブルー」用の「エーアイ」だよ』
『それなら……あの「ディープ・ブルー」の様子は一体何なんだ? 説明してくれ』
 「フレイア・ボトム」が尋ねる。
『正直、常軌を逸しているとしか思えないぞ』
 息をひそめるかのように動きを止めている彼らの目の前で、「ディープ・ブルー」はまるで獣のように暴れ狂い、次々と敵機を撃破していった。うかつに近づけばこちらまで爆破されてしまいそうだ。その勢いは凄まじく、これがその「コア」にとって初めての戦闘だとは思えなかった。彼らが「コア」に選ばれた当初は、「エーアイ」に導かれつつ「アーク」を操ることで精一杯だったというのに……。
『……そのことなんだけれど』
 少年の声が曇った。
『彼女は――「ディープ・ブルー」はまだ目覚めていないんだ』
「何だって?」
 戦闘は既に終結しつつあった。状況を不利だと判断したのか、敵機は徐々に撤収し、「ノア」の周りには静寂が戻ってきている。
 敵が去ったのを悟ったのか、「ディープ・ブルー」も攻撃をやめて静かに虚空を漂い始め、「ノア」による回収を待つ体勢に入った。先ほどまでの暴走が嘘のようなおとなしさだ。
 「トール・グラス」が苛立ちもあらわに声をあげた。
『どういうことだ。「コア」が目覚めていないのにどうして「アーク」が起動する?』
『わからない』
 少年は言った。
『彼女が「ディープ・ブルー」の名を口にすることが、彼女の「コア」としての覚醒の鍵だったはずなんだけれど、何故か上手くいかなかった。彼女の意識の本体はまだ「ノア」の中にあるよ』
「それでは、今の「ディープ・ブルー」の「コア」は……」
『手っ取り早く言うと、彼女の大脳皮質を流れているパルスが断片的に送られてきた、ということ。彼女は戦闘中でも意識の途切れを感じることなく生活しているだろう。ただ、今回の戦闘にせよせいぜい十ナノセカンドだから、「ノア」の中に居ればほんの一、二秒にしか感じられない。結果的には君たちとたいして変わらないね』
『…………』
 彼らが誰も答えを返せないうちに、少年はあっさりと話をまとめに掛かった。
『連携は不可能だが、当分戦闘にはこの形で参加することになる。それでは、よろしく』
「お、おい!」
 「ポップ・アイス」が声をかけたときには、既にその「エーアイ」は彼らの回線からオフしてしまっていた。
「何だっていうんだ、一体……」
 「コア」も「コア」なら、「エーアイ」も「エーアイ」だ。「ポップ・アイス」は首を左右に振って嘆息する。
『もし「ディープ・ブルー」の「コア」に異常があるのなら「ノア」が調査させるだろうさ』
 そもそも「アーク」の「コア」は「ノア」が選び出すものだ。何故、「ノア」はこの「コア」を選んだのだろう。――だが、そんなことは彼らにわかるはずもない。
『まあ、しばらくは仕方がないか』
『一機少ないよりはましだ』
 三人の「コア」は互いに同意し合い、やがて沈黙した。ぼんやりと意識が薄れ始める。――そして三機の「アーク」の「コア」たちは、「ノア」内部への帰還を遂げた。

  6

 何となく、思い出していた。あれはまだ、透海が小学生になったばかりの頃のことである。当時から彼女は活字中毒者で、一日数時間の読書が当たり前の生活をしていた。輝也は高校生くらい。そのころは彼とまだ同じ家で暮らしていて、まるで彼らは兄妹のように育っていた。
「ねえ、お兄ちゃん」
 多分、輝也をそう呼んでいた頃のこと。
「何?」
 輝也は読んでいた新聞から眼を上げて問い返す。透海は読み終えた本を膝に抱えて床に座ったまま、椅子に腰掛けている輝也を見上げた。
「この『世界』って――本物なのかなあ」
「……どういうこと?」
「うん、あのね」
 透海は説明した。……この頃には、誰かに自分の考えを語るということを、彼女はあまりしなくなっていた。彼女の思考する内容を話しても、大抵の友達は「わからない」「むずかしい」と答えるだけだったからだ。そして、何か気味が悪いものをみるような目で彼女を眺める。だから、彼女は他人に自分をさらけ出したりしないように気を付けている。
 ただ、例外は、輝也だった。透海は言葉を選んだ。
「本を読んでいる時、思ったんだけれど。本を読んでいるとね、私の頭の中にその本の『世界』ができるでしょう? 登場人物がいて、いろんなことが起こって、いろんなことを考えて、感じて」
「そうだね」
「でも、私の頭の中にいる登場人物って、自分が小説のキャラクタだなんて思ってもみないのよ」
「うん」
「私たちもそれと同じなのかもしれない」
「…………」
 輝也は少し考え込むように視線を落とした。透海は身を乗り出して力説する。
「私たちも本当は誰かの頭の中の『世界』にいる、キャラクタなのかもしれない……」
「…………」
 たっぷりと黙り込んだ後、やがて輝也は静かに頷いた。
「否定できない。僕らがそれを知覚できないという前提の元での、君の仮定だから」
 透海は表情を曇らせ、輝也を覗き込む。
「……私、変かな」
「どこが?」
「……わかんない、けど」
 多分、学校の友人たちはこんなことを考えたりしない。自分は、皆が言うとおり変なのだろうか。
「変じゃないよ」
 輝也はそう言って微笑む。彼らしい短い返答でも、透海は嬉しかった。
「それで――透海ちゃんは不安になったの?」
「…………」
 輝也は黙り込んだ透海の心を読んだように、くすりと笑う。
「『世界』が本物じゃなければ、いつか僕たちは消えてしまうかもしれないものね」
「……だって、そうでしょ?」
 透海は手にしていた本をかざす。
「さっきまで私はこの本の『世界』を作ってたけど、今はもうないもの。消えちゃったんだ」
「そうだね」
 輝也は頷く。
「でもね、透海ちゃん。本物って何かな」
「え……?」
「たとえば、僕らは眼に見える色は本物だと思いがちだね。ポストは誰が見ても赤い。みかんは黄色い」
「うん」
「でも、本当にそうだと思う? 透海ちゃんの見ている赤と僕の見ている赤が同じだという保証はある?」
「…………」
 透海はしばらく考え込み、やがて首を横に振った。
「無理だと思う……」
「色は、眼にある異なった種類の色覚細胞が電気的に興奮した割合で決まる。わかる?」
 透海は首を傾げた。
「シキカクサイボウって何?」
「光を受け取って、その波長から色を読み取る細胞といえばいいかな。波長っていうのはね、光は波だから、その波のこう、うねってるところ一つ分の長さのことだよ」
 指先で、虚空に図を描く。
「うん」
 幼い透海は真面目くさった顔で彼の話に聞き入っていた。彼の言うことは難しかったが、決して彼女の理解の範疇を超えてはいなかった。
「僕らは色という情報をそのまま得ているんじゃなくて、ある決まった光の波長で興奮する細胞が送り出す電気信号を、脳で色の情報に変換しているんだ」
「私たちは、間接的に色を感じている?」
「そうそう。そういうことだよ」
 輝也は彼女が理解していることを感じ取ったのか、満足げに微笑んだ。
「だから、君が見ている色と、僕が見ている色が同じかどうかはわからない。特に人間以外の生物は僕らとは違った種類の色覚細胞を持っているものもいるから、余計にそうだね。犬なんかはほぼ白黒の世界だっていうよ」
「……わかった」
 透海は素直にこくりと頷いた。それを横目で見遣り、輝也はつぶやく。
「僕は思うんだけど……本物なんて、どこにもないんじゃないかな」
「え?」
「本当って何だろう? 僕らが知るニュースだって、自分の眼で見たものじゃない。自分の眼で見たって、錯覚ってことも先入観のせいってこともあり得る。何も本物じゃない」
「……でも」
 透海は輝也を見上げた。視線が交差すると、彼女はにっこりと笑う。
「私たちが感じたり、想ったりしたこと、それは本物だと思う」
「…………」
「嬉しいとか、悲しいとか、それは本当のことだもの。その原因が勘違いだったとしても、そう感じたことは事実でしょう?」
「……そうかもしれないね」
 輝也も頷き、透海の髪にそっと手を伸ばした。
「それに……本物じゃなくたっていいのかもしれない」
「え?」
「偽物とかイミテーションも、悪くないと僕は思う」
 透海のさらさらした髪に指を滑らせて、
「ただ……、それに騙されたくはないな。騙す方はいいけどね」
「結構いい性格してるよね、お兄ちゃん」
「誉めてもらって光栄だな」
 ませた透海の言葉に、輝也はそう言って微笑んだ。
 
 何故か、透海はそんなことを思い出していた――何故か。