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第一章 ハジマリハユメ 2~4

  2
  
 ――久遠(くどう)(あきら)はひどく怯えていた。目の前に立つその少年が、たまらなく怖い。銀色の髪。瞳は赤。真っ白な肌。一分の狂いもない造形はひどく美しいが、逆に無機質な酷薄さをも感じさせた。
 少年は淡々と、彼にとっては訳のわからないことを口にしている。
「どういうわけか、今回の『コア』に対する『ノア』のセキュリティは厳しいな。僕でさえなかなか『彼女』に接触できないなんてね――こんな非常事態だっていうのに、どういうつもりなんだか。『彼女』に僕の姿を見せるのさえ一苦労だ。……まるで、『ノア』は『彼女』を『コア』にしたくないみたいだ。自分が選び出したのにね?」
 自分と変わらぬ年齢の少年なのに、この威圧感はどういうことだろう。彼はがたがたと震える。
「くどう、あきら」
 少年が自分の名を呼び、にこりと笑った。それでも、研ぎ澄まされた刃物のような鋭い印象は変わらない。
「申し訳ないのだけれど、これから君のデータを抹消させてもらう」
 少しも申し訳ないなどと思っていない口調で、少年はそう言った。
「……えっ?」
「これからは僕が久遠啓になる。そういうことだ」
 彼はいとも簡単にそう言ってのけ、啓の額に手をかざした。
「君は『ノア』の作り出した擬似人格の一つでしかない――しかも君のデータを保管して運用しているメモリは『ノア』のメインコンピュータの中ではきわめて辺縁な場所にある。きっと君のメモリ一つが僕の階層に移動したって、『ノア』は見逃してくれる」
「な、何を言って」
「時間がない」
 少年はきっぱりと言った。
「急がないと我々は宇宙の藻屑となってしまうんだから」
「…………」
 啓が何か言うよりも早く、少年は啓の顔をくしゃっ、と握りつぶした。大して拳に力を込めた様子もない。血も肉も骨すらも何も残らない、それは久遠啓のあっけない消滅だった。
 少年は――今や新しく「久遠啓」となった少年は、ぼそぼそと呟いた。
「僕が『彼女』と接触するためには、このメモリを利用するのが一番いい……彼は転校以来ずっと自宅に引きこもっていたし、両親もほとんど彼には干渉しない」
 ――いや、なんとも思えるはずがないのだ。銀褐色の髪で赤眼という、ふつうならひどく目立つであろう風貌にも関わらず、彼の周りのほとんどの人間たちはそれを何とも思わないだろう。
 少年はにやりと笑った。
「擬似人格は僕には干渉できない。僕は擬似人格よりは高次の存在だから、擬似人格のディレクトリに干渉できるけれど、その逆は成り立たない。『彼女』の眠るディレクトリは、さらに高次にあるわけだが……。実存人格でもなく擬似人格でもない、そもそも僕というプログラムに人格があるといえるのかな?」
 一人でつぶやき続けながら、本物の久遠啓のものだった部屋を歩き回る。――ふと窓際で足を止めた彼は、勢い良く窓を開いた。「彼女」がいると思しき方向に視線を定め、口元を引き締める。
「早く『彼女』を――ディープブルーを投入しなければ、我々は負ける……」
 そうなれば、全てが終わる。この途方もない旅の全てが。
 「啓」は夜空をじっと見上げていた。――そこにある星を睨みつけるように。

 
  3

 二か月前に転入して以来一度も姿を見せなかった転入生が、今日ようやく登校してくる。そう、嬉しそうに語っていた学年主任が、件の生徒を伴って職員室に入ってきた。
 彼をちらりと一瞥した輝也はおや、と思った。銀褐色の髪、赤い瞳、透けるような白い肌。透海の言っていたおばけ――否、幽霊とそっくりの外見ではないか。
「偶然か。それとも……」
「何だ? 時任」
 顔を突き出してきたのは浅川という教師で、輝也の同窓生である。現在は透海の担任でもあった。
「何でもないよ」
「お前らしくない言い訳だな」
「そう?」
 浅川は輝也に構うのを止め、背後に立っていた転校生を振り返った。
「さあ、教室に行こうか」
「はい」
 どうやら、彼は透海と同じクラスらしい。少年――久遠啓は微笑み、輝也に会釈をした。軽く礼を返した彼の耳に、啓のものと思しき声が届く。
「……これは、何だ?」
「……?」
 「これ」、というのが何を指しているのか分からずに彼は眉をひそめた。啓は輝也に自分の声が聞こえていることに気付いていないかのように、ぼそぼそと小さな声で呟いている。
「『ノア』の作り出している擬似人格ではないな……しかし、実存人格でもない……『彼女』の存在と無関係であるはずはないが……」
 ――「彼女」の、従兄なのだから。その言葉を聞き取って、輝也ははっと顔を上げた。彼に透海以外の従妹はいない。今の言葉が自分に向けられていたのだとしたら、「彼女」というのは透海のことか……?
「行くぞ」
 浅川に声をかけられ、啓は頷いた。その表情に、先ほどの台詞は全く痕跡を残していなかった。

 啓は廊下を浅川について歩きながら、なおも呟いている。浅川は、彼の呟きには気付いていないようだった。
「『リニア・レイ』が破壊されてから、戦闘が激化している。早くしないと『ノア』に致命的なダメージを与えられてしまう……」
 彼は半ば眼を伏せた状態で、
「あと僕に許される時間は数ナノセカンド。残された『アーク』はあと三機だ。どこまで彼らの攻撃に耐え切れるか……」
 啓は尽きることなく、言葉を連ねていた。

  4

 いよいよ自分にも幽霊が見えるようになったのだろうか。透海はそう思ったが、啓は幽霊ではなく生身の人間であるらしい。彼女の友人が見かけたのも、転校先が気になって学校を訪れていた彼だろう、という結論に落ち着いたようだ。――じゃあ、宙に浮いていたって話はどうなるの。彼女は疑問に思ったが、周りの友人たちはあまりそのことについて気にしていないらしい。まあ、いいか。透海はあっさりと気持ちを切り替え、深くは追求しないことにした。友人たちの見間違いなのかもしれない。現に今、自分に啓は見えているわけだし……。
 浅川の隣に立っている啓が、不意に透海の方を見た。眼があったことに気付いたのか、にこりと微笑む。
「…………」
 透海は無表情のまま彼を見返した。彼は笑みを崩さぬまま彼女をじっと見つめている。変な人。透海が眼をそらしたとき、耳元で声が響いた。
 ――「ディープブルー」。
「え?」
 小さな声で呟く。「ディープブルー」。確かにそう言われた。けれど、誰に……?
「久遠啓です。よろしくお願いします」
 頭を下げてそう言う啓の声に、どこか似ていたような気もする。しかし透海は確証がもてなかった。そもそも、あの声は耳元で聞こえたのだ。数メートル離れて立っている啓であるはずがない。
「席、そこ空いてるな」
 浅川が指さしたのは透海の左隣。
「久遠、そこ座ってくれ」
「はい」
 彼は軽く靴音を立てながら透海の方へと歩み寄り、会釈した。
「はじめまして、北原透海さん」
「……どうして私の名前を知っているの?」
 挨拶には返答せず、透海は聞き返す。啓は黙って微笑んだ。だがその赤い瞳は彼女を見据え、少しも瞬くことはない。――先に目を逸らしたのは、透海だった。まるで、彼の視線は彼女に標的を合わせているかのようで、落ち着かない。ひどく胸騒ぎがした。
「…………」
 授業を受けながらも、透海は隣の啓が気が気ではなかった。しかし、それは友人たちがひそひそ騒いでいるように彼が美形であるからとか、そんな理由ではない。「ディープブルー」。それが何なのか、気になって仕方がないのだ。やはりさっきの声は彼のものだったような気がする。それにしても、何故その一単語がこんなにも気になるのだろう。考えても仕方がないものは考えない、気にしなくていいものは気にしない。それが自分のモットーだったはずなのに。
 ――だめだ。やっぱり気になる。彼女は授業が一段落ついた頃を見計らい、思い切って啓に声をかけた。
「久遠君」
「何?」
 啓は振り向いた。透海は躊躇しつつ、尋ねる。
「さっきね、何か言わなかった? あの、席に着く前なんだけど」
「僕、何か言ったかな」
 啓の瞳が赤く輝いている。警告灯のようだ、と思った。
「言ったわよ。あの、」
 透海は一瞬言いよどんでから、その言葉を口にした。

「――『ディープ・ブルー』、って」