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第一章 ハジマリハユメ 1

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輝也(かぐや)さんって、幽霊信じる?」
「…………」
 時任(ときとう)輝也は、反応に二秒半ほどを要した。やがて彼はパソコンの画面を見つめたままキーボードの上を走る指だけを止め、
「その質問には意味がないな」
 と答えた。そっけないが、別に機嫌が悪いわけではない。いつも通りだ。
 輝也はちらりと彼女を見遣った。質問をした彼の従妹は、ソファに寝転がってコーヒーを啜っている。彼女専用のマグカップの奥から、大きな眼がじっと彼を見つめていた。
「僕の言ってる意味、分かるね」
「うん」
 輝也の従妹―― 北原透海(とうみ)はうなずき、ソファの上に起き直って座った。肩を少し越える程度に伸びた黒髪を、指先で軽く整える。彼の十歳年下の従妹は、今年高校一年生。偶然にも、彼の勤める高校に進学している。
 輝也の言った意味はこういうことだった――幽霊が存在しているかどうかの答えは一つで、それは存在しているか否かのいずれかであり、同時に双方を満たすことはあり得ない。だから、個人レベルで存在を信じるかどうかという議論は、存在の論証には何の役にも立たない。だから、質問に意味がない、と。
 そもそも存在を信じるとはどういうことだ、と輝也は思う。犬の存在を信じるのか? 猫の存在を信じるのか? それではひとは自分の存在を信じているのか? ――存在を信じるかという質問が意味を持つことがあるのだろうか。信じれば、存在しないものが存在するようになるとでもいうのだろうか。まあ、そういう場合もなくはないけれど……たとえば神、とか。
 透海はとりとめない思考に没入しかけている輝也の方を見ながら、
「私もそう思う」
 とつぶやいた。輝也はため息と共に言葉を吐き出す。
「じゃあ、どうしてわざわざ尋ねたの?」
「輝也さんがどう答えるかに興味があったからよ」
「でも最初から答えは予想していただろう?」
「まあね」
 透海は肩をすくめた。輝也が両親を事故で亡くして以来、兄妹同然に育ってきた年月は伊達ではない。
 ふたりが他者に与える印象はさほど似ていないのだが、輝也の思考の型と透海の型はどこか似通っているらしい。アウトプットされてくる言葉がしばしばぴったりと重なって、透海の両親らを驚かせるのだった。
 透海は軽く鼻息を漏らした。
「それにしても、幽霊って何をさす言葉なのかしら。定義が良くわからない」
「人間の霊魂が可視状態にあること、かな……。でも心霊写真って見えないのに写っているとか、そういうやつでしょう。写真フィルムは基本的に感光だから、そりゃあ人の不可視領域の光線が写りこむこともあるかもしれないけどね。それが霊魂っていうのは、ちょっと短絡的に過ぎるかな」
「人魂って、実際はリンなんでしょ?」
「うん」
 輝也は透海の言葉を肯定した。
「墓地で目撃されることが多いのは、人骨にリンが含まれているせいだね」
 リンの引火点は低いし、墓地には線香や蝋燭などの火気もある。条件がそろっているのだ、と輝也は言った。教師という職業柄、説明し始めるとどうも講義をしているような口調になる。
 輝也は、少し言葉を切った。
「……それに、墓地って人魂を見たいと人々が思う場所でもあるよね」
 透海は眼を軽く閉じて考え、輝也の言う真意を汲もうとする。彼は彼女の思考を待たずに言葉を継いだ。
「僕はね、葬式とか、そういうものって生きている者の為にあるんだと思う」
「お墓も? つまり『故人が未だそこに居る』もしくは『かつては存在していた』ことを外界に対して主張する拠り所ってことかしら」
 透海の言葉に軽く頷きつつ、
「外界……とは限らないね」
 輝也はついにパソコンの電源を切ってしまった。どうせ急ぎの仕事ではない。彼の作っていた一学期の期末試験は、まだ二週間ほど先だ。今日でなくてもいい。今は、透海と話をしていたい。
「むしろ自分に対して……じゃないかな。ほら、去る者日々疎しって言うじゃない?」
「そうね」
「僕だって、もう両親の思い出はそう多くないんだよ」
「…………」
 透海は口をつぐんだ。
 輝也の両親が死んだのは十年前、輝也が十五歳で、透海が五歳のときだった。父母と彼と、三人が巻き込まれた交通事故で、生き残ったのは一人だけ――輝也だけだった。言葉を選んでいる透海の横顔を見遣り、輝也はふっと表情を緩めた。
「ごめん。気を遣わせた」
「そんなこと……」
 顔を上げる彼女に向かい、言葉を重ねる。
「故意に、だよ。だから謝った」
「…………」
 透海は微笑んだ。
「気を遣うことは嫌いじゃないの」
「そう? 僕は面倒だと思うけれど」
「でも、気を遣うのは意味のあることだと思うわ」
 透海の言葉に、輝也も少し微笑した。
「確かに、客観的視点の導入は人格の成長の第一歩だと思う。……それで、さっきの質問だけど」
「幽霊?」
「そうそう。それ」
 透海は少し躊躇うように視線をさまよわせた。輝也は問いを重ねる。
「どうしてそんなことを聞こうと思ったの? さっきと同じ答えを欲しているわけじゃないよ……まあ、質問を変えてもいいけどね」
 ――どうしてそのことに対する自分の見解を聞こうと思ったのか。輝也の言いたいことはそれである。透海は深呼吸の途中で息を一瞬止め、やがて大きく吐いた。
「まあ、大したことじゃないんだけど、ね」
「何が?」
「私の周りの子がみんな見たって言うの」
「幽霊を?」
「幽霊っていうか……同じ人を。それがちょっと、おかしくて」
「どういうことかな。もう少し整理して話して欲しい」
 輝也は身を乗り出した。透海の歯切れが悪いのが印象的だった。彼女はいつも言われなくても理路整然と話す性格なのに。
「うん……」
 透海は一つ頷き、椅子に座りなおした。
「最初は、体育の授業中だったのよ……」
 グラウンドで、点呼を待ち並んでいたときのことだ。不意に、隣の友人が小さく叫んだ。
「あ、あれ見て!」
「え?」
 透海は怪訝そうに彼女の指差す先を見遣るが、驚愕を引き出すだけのものは何もなかった。その指先は校舎の屋上の少し下くらいを指し、細かく震えている。彼女は青ざめ、指を差していない方の腕で透海を揺すぶった。
「あれよ、見えないの?!」
「えーっと、何のこと?」
 透海は瞬きを繰り返すが、何も特別なものは見えない。
「あ……あ、消えていく……」
 彼女はつぶやいた。
「消えたわ……!!」
「何があったの?」
 彼女は青ざめて透海を見た。
「透海は見えなかったの?!」
「ええ」
「じゃ……じゃ、あれは幽霊……?」
 ――彼女の見たのは、銀髪に赤い瞳の男子生徒だという。透けるように白い肌で、服は高校の学生服を着ていたらしい。異常だったのは彼が宙に浮いていたこと。彼女と眼が合ったその少年は、静かに微笑みかけてきたというのだが……。
 輝也は首を傾げた。
「随分フレンドリーな幽霊だね。幽霊はみんな現世に怨念を残しているものかと思っていたけど」
「でもその子だけじゃなかったのよ、それを見たの」
「その話を聞いた子が、そういう気分になっちゃったんじゃないの? ほら、よくあるじゃない。集団幻覚とか」
「うん、そうかもしれないけど……、それぞれ違う場所で見ているし、それに細かい特徴まで一致しているの。背丈とか、いろいろね」
「ふうん……。でも、君は見ていないわけだ」
「そうなのよ」
「変だね」
「変でしょう?」
「君だけが見ていないの?」
「……私とそれなりに仲のいい子ばかりが見ていて、私は見ていない」
「それ、新手の嫌がらせじゃない?」
「まさか。それはさすがに気付くわよ」
 透海は噴き出した。あながち冗談を言ったつもりでもない輝也は、複雑な表情をした。
 幼い頃から、周囲の人間が驚くほど利発で聡明な少女だった透海。だが、かつての透海は他人の悪意に鈍感で、時に素直すぎるほどに真っ直ぐな子供だった。同年代の子供と自分が少し違っていることに、彼女だけは気付いていなかった。いつ頃彼女は気付いたのだろう。「違う」ということが、他人から悪意を向けられるきっかけになるのだということを。「浮く」ということが、集団生活においてどれほど危険なことか。何度か彼女は傷つき、やがてその原因に気付いた。自分が、少しばかり他の子供たちと違っているということに。――気付いてしまえば、彼女は持ち前の頭の良さで速やかに対処する術を覚えた。自分と他者との間に高い壁を作りあげたのだ。目立たないように、注目されないように。彼女は細心の注意を払って生きている。それが悪いとはいわない。むしろ、透海が傷つかないためには必要なことなのだろうと思う。だが、自分は彼女にとって壁の必要のない存在でありたいし、実際そうだと思っている。
 彼自身も、彼女と同じような経験をしている。周囲と自分とは違う。だが、彼は彼女よりも早くに気が付いて、他者をそれなりにやり過ごすことができた。幼い頃の透海のような真っ直ぐなまなざしは、きっと自分にはなかったものだ。今でも彼女が時折見せるその光は、ひどく眩しくて、愛しい。
「……結局、よくわかんないってことね」
 透海のつぶやきに、輝也はうなずいた。
「うん、今の話だけじゃ何とも言えないな……。力になれなくて悪いけれど」
「そうね……ごめん、変なこと言って」
「いや、何も謝ることはない」
 輝也は透海の肩をぽん、と叩いた。
「もし君にも見えるようになったら、その方が心配だし。何か変化があったら教えて欲しい」
「分かった」
 透海は微笑んで立ち上がった。そろそろ自分の家に帰るのだろう。かつては彼も住んでいた家だ。
「時間も遅いし、送っていこう」
 透海に続き、輝也も腰を上げた。彼女を送り届けるついでに、彼女の両親――彼の育ての親に顔を見せよう。
「輝也さん」
 玄関を出る前、先に靴を履いた透海がくるりと振り向いた。
「輝也さんは、幽霊見てないよね?」
 茶化すような調子の割に、瞳は真剣だ。輝也はきっぱりと断言する。
「うん、見ていない」
 ――銀髪に赤い眼……アルビノか? 空中を浮いて? 愛想笑いを浮かべる?
 輝也は首をひねった。
「幽霊って長い黒髪なんだと思っていたけれど」
 白い浴衣を着て、うらめしやとつぶやく。そういったイメージしか浮かばない。
「別にそれは決まりじゃないんじゃない? 最近は茶髪だって多いかもしれない」
 透海は首をすくめた。輝也はあくまで真面目だった。
「足はあったの?」
 と尋ねた。透海はぷっと小さく吹き出す。
「あったらしいわ」
 ――それはきっと、幽霊ではないだろう。その、輝也の予想は当たっていた。だが肝心な点についてはなにひとつ――わかるはずもなかったのだった。