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存在理由

 テレビ、というものが北原透海はあまり好きではない。クラスメイトたちが好んで見るドラマにも興味がないし、映画も滅多に見ない。彼女の従兄である時任輝也も似たようなものだ。
 それなら何故、今彼らが揃って映画を見ているのかというと――。
「なんでうちで見てんの」
 ぼそりと透海が言う。輝也はちらり、と隣を見遣った。
「久遠君が見たいって言ったから、じゃない? うちテレビあるけどブルーレイ見られないし。久遠君の家もなんだろ?」
「なんでそもそも自分ちで見られないブルーレイをレンタルしてくるのよ」
「北原さん」
 ふたりの間に挟まれるようにして座っていた少年が、声を上げた。透き通るような白銀の髪と鮮やかな赤い瞳。人工的なまでに整った顔をした彼は、窘めるようにじっと透海を見つめた。
「今いいところだから、静かにして」
「…………」
 透海は何か言いかけて口を開けたが、やがて諦めたようにため息をつき、ソファに背を預けた。

 この世界は「夢」だ――唐突に明かされたその「真実」は、北原透海がこれまでの十数年の人生で耳にした、どんなフィクションよりも荒唐無稽なものだった。その「真実」を彼女と輝也につきつけたのが、今二人の間で映画に熱中している少年――久遠啓である。だが、その名はそもそも彼のものではない。彼本来の名はエーアイ13号」、或いは「ユダ」。彼は人間ですらなく、スーパーコンピュータ内のプログラムのひとつ、人工知能なのである。この「夢」、すなわち仮想世界には、人間――実在の生命と平行(パラレル)に存在する「実存人格」の他に、生命に裏打ちされることなくプログラムされている「仮想人格」、そして世界を管理するための「人工知能」が存在しているのだ。
 映画が無事終了したところで、透海は大きく伸びをして立ち上がった。
「あー、疲れた。だから映画って嫌なのよ。見終わったあと妙に疲れるんだもの」
 輝也は啓を見遣り、口を開く。
「面白かった?」
「ええ」
 啓は屈託なく笑った。
「スペース・ウォーズシリーズはあと三作ほど出てるんですよね? また借りてきます」
「えー? それいちいちうちで見るのやめてよね」
 透海は唇を尖らせた。
「次はブルーレイじゃないの借りるのよ? 間違っちゃだめだからね」
「一緒に見たいのになあ」
 啓は拗ねたように言う。透海は眉を顰めた。
「大体、悪趣味なのよ。宇宙での戦争を題材にしている映画なんて……あてつけのつもり?」
「あてつけ? なんで?」
 啓はきょとんと首を傾げる。本当にわからないのだとしたら、呆れた無神経だ。透海はそう思った。
 この世界は、滅亡しかかった人類の受精卵を載せた方舟――宇宙船の見る夢。透海ら数人の人間は、その船を守るために「アーク」と呼ばれる機体に意識を接続され、「敵」と戦っている。啓の役割は、「アーク」のコアである彼女をサポートすること。彼女らの敗北はすなわちこの世界の滅亡を意味するのだから、必死である。
 こんな映画の設定なんて、生ぬるいわ。透海はそう思えてならないのだ。
「辛い?」
 輝也の言葉に、透海ははっと顔を上げた。彼女の従兄は心配そうに彼女を見ている。
「……別に、辛いってほどじゃないけど」
 透海は口ごもった。
「でも、何も日常でまで見るようなものじゃない……でしょ?」
「僕は、むしろ何かヒントになるんじゃないかと思ったんだけど」
 啓はあっけらかんとそういった。
「君のことを理解する手助けになるかなって。君にとっても何か、得るものがあるんじゃない? 戦闘のこととか――あと、精神的なところとか」
「え?」
 透海は啓をまじまじと眺めた。彼は、真剣そのものといった表情で彼女を見つめている。
「この映画は人間が作ったものだろう? 人間が、もしこのような宇宙での戦闘を余儀なくされたら、どういった精神的反応を示すか。どのようにして順応するか。もしくは、どういったところに苦痛を感じるか……シミュレーションされたサンプルだと捉えていたんだけど」
「はあ」
 透海は短くつぶやく。――言いたいことはなんとなくわかるけれど、どうも致命的にずれているような気がする。
「そんなに大層なことを考えて作られてはいないと思うけどね、この映画は」
 輝也が苦笑した。
「まあ、君がそういうつもりなら僕は付き合ってもいいよ。透海ちゃんは、好きにすればいい」
「僕は北原さんと一緒がいいのになあ」
 啓はぼそぼそと言う。透海は今日何度目かわからないため息をついた。そして、口を開く。
「シーモスのエピソード、覚えてる?」
「うん」
 透海のあげたシーンは、この映画のハイライトのひとつだった。人に模して作られた、人造人間(アンドロイド)のシーモス。親切で人当たりも良く、ユーモアのセンスもあり、彼が人間かどうかに関わらず人気者だった。しかし、実は彼を製作したのは主人公の敵勢力。彼は主人公の友人となるべく作られ、そしてその思惑通りに親しくなる。ところが敵によって主人公を裏切るためのプログラムを起動されてしまい……。
「それで、シーモスは自らを停止するのよね。製作者である敵を切り捨てることはできない。だけど、友人となったら主人公のことも裏切れない。だったら、自分を止めてしまおうって」
 透海は啓の顔を見ないまま、ぽつぽつと語った。
「なんか……嫌な気分になったの。別に、私はスペース・ウォーズの主人公じゃないし、久遠君はシーモスじゃない。わかってるんだけど、でも……」
 誰かの友人であるため、もしくは誰かを裏切るため。そんな存在理由は、悲しすぎる。
「北原さん」
 啓の声に、彼女は彼と視線を合わせた。啓は妙に嬉しげに微笑んでいる。
「僕は君のために存在しているんだから、裏切ったりしないよ?」
「いや、だからそういうことじゃなくてね……」
「それに、僕は自律プログラムだし。誰かに書き換えられる心配もない。安心だね」
「違うんだってば」
 啓にじりじりとにじり寄られ、透海は後ずさった。
「いやいややってるんでもないよ? 僕は僕の意志で、君を僕の存在理由にしようと思った。何の問題もないね?」
「あるある! 問題大あり!」
 透海は顔が赤くなるのを感じながら、声を上げた。
「他人を存在理由にしちゃだめよ……そんなの、良くない」
「けど」
 啓は透海のしどろもどろな声を遮った。
「君だって、『自分の大切な人を守るために戦う』んだって、前に言っていたよね。それって、他人を理由にしてるんじゃないの? 僕と、何が違うの?」
「…………あ」
 透海は頭を抱えたくなった。――なんて、鋭い!
「いや、それは……その」
「あのさ」
 突然、のんびりとした声が飛び込んだ。輝也はひとり、我関せずといった様子で雑誌をめくっている。
「シーモスのことだけどね」
 細い銀縁の眼鏡を押し上げ、輝也はすらすらと言った。
「続編でちゃんと出てくるよ。えっと、たしか、主人公側の誰かがプログラムを書き換えてやるんじゃなかったかな。ちゃんと元に戻る」
「…………」
 ――まさかのネタバレ!
 凍りつく二人を他所目に、輝也は「コーヒーいれてくるね」と立ち去った。
「……輝也さん、なんで続きを知ってるのかしら」
「……さあ」
 立ち尽くした彼らは、どちらともなく顔を見合わせ、ふ、と笑みを零した。
「久遠君の持ってきてくれたケーキ、食べようか」
「そうだね」
 キッチンから漂ってくる、コーヒーのいい香り。
 透海はふい、と啓から顔を背けて言った。
「美味しいケーキつきなら、うちで見てもいいわよ。続編」
「……うん!」
 啓は嬉しそうに笑う。その笑顔が人工のものだって、なんだって、どうでもいいことだ。彼は私の友人で、だからこそ――「存在理由にされちゃ、重いんだけどな……」透海は小さくつぶやいた。