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第二章 ユメハカゲロウ 7

  7

 青く煌く機体が軽やかに動く。どこか懐かしい感覚――彼女の四肢末端が徐々に浸されていく。
 深緑の機体、それが敵だということは何故か分かった。それらが襲いかかってくるのを冷静に見据え、彼女はそれらの破壊を願う。彼女のまとう青い機体は、彼女自身の肉体以上に思い通りに動いた。闇の視界の中、彼女は機体を縦横無尽に操る。――守らなきゃ。何を守らなければならないのか、彼女は分からない。ただ、何かを彼女は守らなければならないのだった。今感じているこの暖かな感覚が、守るべきものなのかもしれない。
 目の前を時折横切る赤と白と緑の機体は、友軍機らしい。時折、彼女の戦いをサポートしてくれる。何度目かの「夢」のとき、彼女は彼らを覚えた。
 だが、彼女の五感は相変わらずぼんやりとしていて、またこの「夢」の終わりも唐突で――。

「透海ちゃん?」
 不意に掛けられた声に、透海は体を起こした。
「え?」
 髪をかきあげて辺りを見回す。上を見上げたところで輝也と眼が合った。
「輝也……さん」
「どうしたの? ぼうっとして」
「ううん……ちょっと、ね」
 学校帰りに透海は輝也の家に寄り、コーヒーを飲んでいるところだった。透海は例のごとく熱いコーヒーが適温に冷めるまで待っていたのだが……。
 透海は大きくため息をついた。数日前から一度相談したかったことを、ようやく言葉にするのに成功する。
「なんか、最近白昼夢……っていうのかな、そういうのを見るの」
「白昼夢? ……どういうのだろう」
 輝也は眉を顰めた。
「良かったら、話してくれない?」
「うん……」
 透海はぽつり、ぽつりと語った。その視線は下を向いているが、特に落ち込んでいるような様子はない。淡々と、ただ事実を語っているだけといった調子だ。
 だが、話の内容はとても事実とは思えないようなものだ。

 青い人型の機体、
 敵機による攻撃と迎撃、
 赤と白と緑の味方、
 果てしない虚空で繰り広げられる戦闘――。

 ひととおり聞いた輝也は、ほう、と深い息をついた。
「……透海ちゃんってロボットアニメ好きだっけ?」
「ううん、別に。ほとんど見たことない」
「そうだよね」
 輝也は首を捻った。
「何か変な夢だな」
「そう、変なのよ。妙にリアルだし……」
「つまり、君はそのロボットのコックピットにいるのかい?」
「ううん、そういうんじゃないの。私そのものが動かしている感じ」
「……かぶりもの?」
「違うけど……でも、感覚としては似てるかもしれない」
「いつも同じ夢なのかい?」
「そう。敵は違うけれど、大体は同じね」
「その戦闘の舞台って、やっぱり宇宙なのかな?」
「うーん……どこかな」
 透海は首を傾げた。
「そうね、宇宙かもしれない。とにかく真っ暗で。でも、そういえばちょっとだけ光の粒が見えたような……」
「そう」
 透海の言葉はどんどん曖昧になっていく。そのことに気付いた輝也は、話題を変えた。これ以上聞いても、きっとたいしたことはわからない。自分には夢判断などできはしないのだから。
「そういえば、星って宇宙空間から見ると瞬いてないんだってね」
「え?」
 透海が不思議そうに輝也を見つめる。
「星が輝いて見えるのは地球の周りに大気があって、光が屈折されたり散乱されたりするから」
「そうなんだ」
 好奇心に煌く透海の瞳が好きだ。輝也はそのまま話をさらに変える。
「そう、それから……」
「それから?」
「前々から興味深いなと思っていたことがあるんだけど」
 輝也は軽く足を組んだ。
「人類最初の宇宙飛行士が何て言ったか、知っているよね?」
「『地球は青かった』」
「そう、それ」
「それがどうかしたの?」
 輝也は微笑み、本棚の一角に押し込まれた地球儀を眺めやった。
「僕が面白いなって思ったのは、主語が『地球』だったことだよ。彼は『宇宙』について語ったわけじゃなかった」
「……どういうこと?」
「だって、彼は初めて宇宙に行ったんだよ? 普通目の前に広がる宇宙を見ようとしないかい? 何故彼は振り向いたんだろう?」
「そういえば……」
「僕は思うんだ」
 輝也は軽く天井を見上げた。眩しい蛍光灯の灯りに、薄く眼を細める。

「人間が宇宙に行ったのは、『地球』が見たかったからじゃないかって……」

「…………」
 透海が大きく眼を見開いた。輝也は視線を天井から彼女の顔に移す。
「学問は全て――まあ、純粋な数学のことはよく知らないけれど、ちょっと当てはまらないかもしれない。でも」
 輝也の瞳は透海のそれとよく似ていた。夜空の色を染め付けたような瞳。その中には、確かに星が宿っている。
「大抵の学問は、『人間』を知るために発展してきたような気がするよ」
 歴史、文学、社会学、生物学……。
「それと、『人間』である自分たちを取り巻く、世界のこと。広義の意味では『自分』のことといっても良さそうな気がするよね」
 物理学、天文学、化学……。
「僕らは知りたいんだね。『自分』のことを」
「でも」
 透海が口を開いた。
「完全に知ってしまうことはまだ、できない……」
「……そう」
 輝也は微笑んだ。
「僕らが最後まで理解できないのは、自分自身のことなのかもしれない」
「それはしあわせなことかしら? それとも不幸?」
 透海の問いを聞いた輝也は、軽く首を左右に振った。
「僕には決められないよ。僕だって、『自分』を理解しているわけではないからね」
 透海は膝に両肘をついて輝也を見つめた――唐突に不思議な感覚に襲われる。それはまるで、彼女が青い機体と一体化しているときの、あの懐かしさのようなものだった。彼女が守りたい、と強く願うもの。
 透海はコーヒーにミルクを垂らした。黒い水面が白い、かげろうのようなもやに覆われていく――まるで自分の見る夢のようだ、と思った。